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私にはある普通じゃない感覚

今まで自称ですが
マイノリティな私だと
いろんな投稿で話してきました。

物心ついた時から
「自分はなんか違う」という自覚があり
かけっこはどうやってもビリ
なのに絵だけは幼稚園生と
思えないくらいの上手さで
ほかの父兄からも見られてて

小学生に上がり
なんとなくみんなが理解する
「暗黙のルール」的なのがわからず
養護学校の交流会の後に
親に
「ねぇ、私も知的障がい者なの?」
と聞いた覚えがあります。

おそらく今思うと知的障がいというより
こだわりが強かったり
能力値が凸凹してたり
集中力のムラや
空気の読めないところは
どちらかというと
ADHDやASDに近い感じとは
思います。

もちろん正社員として
仕事は出来ているので
多少抜けているところがあったとしても
「障がい」としては
認定されてはいないのですが。

それでも人と馴染み辛い等の
私なりの「生き辛さ」というのは
存在していて
生活していくためのお金に
関わるほどとも言えない
グレーゾーンの障がいは
存在しているのです。

こういったものは
最近たくさん目にする機会が
増えてきました。

性同一性障がいもそうでしょうし
もっと具体例を言うと
HSP、境界知能など様々です。

これらは手帳を与えられて
国から援助を受けるような
一般的な「障がい」という扱いは受けないが
本人の何かしらの違和感が
存在しているという
グレーゾーンです。

そんな私に最近また
こういったグレーゾーンの言葉を
聞く機会がありました。

それは「相対音感」です。

まぁ今まで「障がい」とか
生き辛さの話をしてきたので
また違ったように感じるでしょうが

「絶対音感」を持つ人は
いろいろと結構気になって
生き辛いらしいですね。

それはさておき
「相対音感」とは
「絶対音感」のように
音階がわかるほどではないものの
ちょっとした音の高さを
他の人より強く認識するため

いわゆる「耳コピ」が出来る人です。

私は音階がわからないので
「絶対音感」ではないのは
わかっていましたが

それでも幼い頃から
他の人が気づかないキーの違いに
一人だけ気づいて
「なんでみんなわからないんだ」
と感じたことがあったり

好きな音楽を耳コピして
フルートで演奏したりしていたので
割とこの説明にしっくりきました。

私がまたマイノリティ的な才能に
一つ気づいた出来事でしたが

これらはすべて過去のことであり
私は「普通」でない自分に
強いコンプレックスを抱き
「普通」を目指した結果

こういった芸術系の才能を
伸ばすことなく大人になってしまいました。

今思うとびっくりするほど
上手だった絵も
描かなくなって今は人並みです。

耳も昔ほどよくはありません。

時代の流れがもう少し早かったなら
自分の才能をのばせていたのかな
と思う反面

私がこだわっていた「普通」って
なんだろうと
昔よりちょっぴり「普通」に
近づいた私は思います。

この文章を読んでいた
あなたにも私と同じようなこと
きっとあったかと思います。

どうか思い出してみてください。


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