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記録するということ

noteを初めてもうすぐ1年になります。
毎日更新ではないものの
極力途切れさせないように
してきたものの
書き始めた当初よりは
随分とネタに困ることも
増えてきました。

たまに「なんで続けてるんだろう」
と考えることもありますが
口下手でそれがコンプレックスで
接客業ばかり選んできて

それでもまだ口下手な私が
気持ちを表現して
すっきりさせる手段として
かなり精神衛生上も
役立っていたと感じています。

毎日更新を決めていた時期は
プレッシャーもあったのですが
そこから一旦自分を解放してからは
思いつくタイミングで更新しようと考えて

今はだいたい週5〜6くらいの
更新となっています。

私のように
高頻度の更新を続けていく方は
必ずその過程で
「あれ?なんでやっているんだろう?」
と考えることが必ずあるかと思います。

そんな矢先にこの動画を目にしました。

まさにnoteを続ける方に
ぴったりな動画ですね!

私は今でこそ
このnoteに自分の思いを書き綴っていますが
それより以前でも
SNSや日記などを書くのが好きで

今よりネットが発達していなかった
2000年前後は
手帳にぎっしり書き込んだものを
いつも持ち歩いていて
私の収納の中にそれらは今もいます。

おそらく私のように
自分のコミュニケーション能力に
不満があったり
考え事が多かったりする人は
そういったツールは
昔から欠かせなかったんだろうなと
感じます。

そして多くのことが
スマホで解決できる時代になった今
ミニマリズムのムーブメントが広がり
私もその影響を受けていますが

昔のその日記たちは
きっとそんな断捨離の中で
生き残っていくんだろうなと
考えています。

歴史に未来や現在の問題の
解決のヒントがあるように

数年前にも同じような壁にぶち当たって
同じように解決してきた歴史が
私のこの36年の中にもあるのです。

ただ今の時代の記録なんて
何年先まで残っているのでしょうね。

だって20年前のMDすら
再生する手段を今ではほとんどのひとが
持たないというのに。

そう考えると案外
デジタルより紙の方が歴史が長く
それよりも長いと言われているのは

腐食する木でもなく
錆びる金属でもなく
「石」だというのです。

ひとが「何かを伝えたいという」
気持ちを最大限に活用できるツールが
「石」だというのなら
かの石工職人であったフリーメイソンが
力を得ているのも納得できます。

「石」はひとつの文明が
終わっても記録として残す力があります。

私はこの文章をそこまで
後世に残すつもりはないので

文明が終わった後も伝え続けていきたい
思い
ってどんな思いなのだろうと
興味が湧きます。

改めて「書く」ということが
ここまで話を広げられるという
面白さを感じています。

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