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味の決め手は引き算の美学? 2種類の自家製ラー油ができるまで。

ちょっと嬉しいニュースが飛び込んできました。今度の冬に発売される三省堂の国語辞典 に、新語として「麻辣(マーラー)」が載ることになったそうです。老舗出版社の権威ある国語辞典でも扱われるということは、それだけ「麻辣」という言葉が市民権を得たということですよね!以前こちらの記事で「麻(マー)」については触れましたので、今回は「辣(ラー)」について掘り下げていきます。「辣」の味を代表する調味料と言えば、そう「ラー油(辣油)」です。今回はラー油について、赤坂店料理長の田中良司に話を聞きました。

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ー四川料理にラー油は欠かせないと思います。お店では仕入れたものを使うんですか?それとも自家製ですか?

田中:うちのお店では、全部で3種類のラー油を使っています。そのうち2種類は自家製ですね。もうひとつの「老油」というタイプだけは、仕入れたものを使っています。

ー全部で3種類!そして現場で2つも作っているんですね。では、実際にどのように作るのか教えて下さい。

田中:ラー油の辛味の元になっているのは唐辛子です。お店では2種類の唐辛子を合わせて使っています。ひとつはみなさんがよく知る形状の唐辛子ですが、もうひとつは丸い形をした「朝天唐辛子(ちょうてんとうがらし)」と呼ばれるものです。

↓朝天唐辛子(古樹軒のウェブサイトより)

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田中:粉状になった2種類の唐辛子をミックスして、そこに水を適量加えます。

ーラー油を作るのに水を加える?それはなぜですか?

田中:後から熱い油を唐辛子に注ぐのですが、そのときに粉末状の唐辛子だけでは、あっという間に焦げてしまいます。それを防ぐために、唐辛子にあらかじめ水分を含ませておくんです。

(↓)唐辛子の粉に水分を含ませる。

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ーなるほど〜。そういう理由があるんですね。ちなみに、その注ぐ油とは、一体どんなものでしょうか?

田中:香味野菜のネギとショウガ、そして香辛料として陳皮、桂皮(シナモン)、八角(スターアニス)、丁字(クローブ)、そして丸のままの朝天唐辛子で、じっくりと風味をつけた油です。

(↓)風味を付ける香辛料の数々。

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(↓)唐辛子とともに、油に香りや味を移していく。

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ー色々入っているんですね。材料を聞くだけで、美味しそうです。

田中:その熱い油を、先ほどの唐辛子の粉にかけていくわけですが、ここで大事なのは油の温度です。熱すぎては、いくら唐辛子に水分があっても焦げてしまいます。反対に温度が低いと、唐辛子の色や香りが油に移っていきません。また低温では最初に含ませた水分が残ってしまうので、澄んだ油に仕上がらないんです。

ーその温度の見極めが大切なんですね。でも、温度計であらかじめ計っておけば良いのではないでしょうか?

田中:そこが難しいところです。唐辛子が水を含んだ状態というのが毎回微妙に異なっているせいで、「この温度ならば、いつも同じように仕上がる」というわけにはいかないんです。なので、最初に少し油を入れて様子を見て、それによって温度を調整しています。

(↓)加減を見ながら、唐辛子の粉に香味油をかけていく。

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ーある程度の経験が必要ですね。ラー油を作るのは誰の仕事でしょうか?

田中:大体2年目くらいのスタッフが担当します。最初に先輩がついて、一緒に何度も作ります。そして任せられるようになると、自分一人で担当するという流れです。店の忙しさやメニューの出方によって変わりますが、ラー油の仕込みは平均すると週に1回くらいでしょうかね。非常に大きな容器を使って行います。

ー四川飯店のラー油の特徴のようなものはありますか?

田中:先程、色々な香辛料を使っているという話をしました。ただ、必要以上にそれらの香りが出ないように、少し抑え気味に仕上げています

ー香りが出るのは良いことだと思うんですが、そうしないのはなぜですか?

田中:ラー油というのは、それ自体を味わうものではなく、あくまでも仕上げとかアクセントとして使う調味料です。なので主張が強すぎては、肝心の料理の味を邪魔してしまいます。例えば担々麺で言えば、芝麻醤のゴマの風味を楽しんで欲しいわけですから、そこに強すぎる香りは要らないんですね。(※自家製の芝麻醤についてはこちらをどうぞ)

ー確かにそうですね。だから、隠し味的にあえて止めているということですね。

担々麺

田中:ここまでお話ししてきたものが、ひとつめの自家製ラー油です。このラー油はバンバンジーとかよだれ鶏なんかにも使いますが、一番使うのは担々麺、それから酸辣湯麺などです。麺類に使うことが多いので、僕らは「そばラー油」と呼んでいます。

ー「中華そば」とかの「そば」ということですね。では、もうひとつの自家製ラー油は何の料理用でしょうか?

田中:ずばり、麻婆豆腐です。先程の「そばラー油」に対して、店では「マーボーラー油」と呼んでいます。

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ー麻婆豆腐には、そばラー油とは違う役割のラー油が必要ということですね。

田中:マーボーラー油は、現会長である陳建一が、かつて四川省を訪れたときに現地で見て学んだものです。マーボーラー油には、そばラー油とは異なる点が2つあります。

ーまずは何でしょうか?

田中:「色」です。麻婆豆腐にとって「食欲を刺激する赤色」はとても大切です。なのでマーボーラー油では、赤の色がより出やすい韓国産の唐辛子を使用しています。さらに、そばラー油では最初に唐辛子と水を混ぜますが、マーボーラー油では水の代わりに中国醤油と合わせるんです。

ーそれはなぜですか?

田中:醤油を使うことによって、油がより「赤黒い」感じに仕上がるからです。

(↓)左が「そばラー油」、右がより赤黒い「マーボーラー油」。

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ー色にこだわって、そうした違いをあえて作っているんですね。ではもうひとつの違いとは何でしょう?

田中:そばラー油でも香辛料の風味は多少抑えて作っているとお話ししましたが、それでも麻婆豆腐に使うには、香りが立ちすぎているんです。なので、マーボーラー油では、熱する油には香辛料は入れずに、唐辛子だけを使用しています。

ー麻婆豆腐には余計な香りは不要ということでしょうか?

田中:麻婆豆腐の味わいにとって大事なのは、豆板醤の辛さと深み、そして山椒の香りです。これをしっかりと感じてもらうためには、それ以外の香辛料は、むしろない方がいいんですよね。なので、唐辛子でしっかり辛味を出しただけのマーボーラー油が適しているんです。

ーラー油ひとつでも奥が深いですね。2種類の自家製ラー油の使い分けもさることながら、どちらも「風味をあえて抑える」という点がとても興味深かったです。

田中:ラー油というのは、四川料理にとって欠かすことのできない調味料ではあるんですが、それ自体が強く主張すべきものではないんですよね。

ー四川料理と言うと、様々なスパイスを駆使して重層的に味を組み立てていくイメージがありますが、ただ積み重ねればいいわけではなく、「抑制」とか「引き算」みたいな要素もとても大切なんですね。今日はありがとうございました。【終】


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