多様性、なんてね
日々SNSを見ていると、たまに凄くめんどくさいなと思ってしまう。
周りにそういう人種がいない分どうにも信じ難いけど、酷く偏った考えの持ち主、また、文脈を読み取る努力をしてそれなのか、そういう習慣がないのか分からないが自分の誤りに気付かないまま変な方向に話を展開していく人間。
SNS、特にXなんかは現実における社会に肩身が狭いと感じる人間も集いやすいという性質上、やたらキラキラした人種が叩かれたり、一度火が付けば周りの意見に流されてるだけだろとしか思えないほどに終わりもなく叩かれ続ける。
面倒くさい。非常に面倒くさい。
とはいえSNSがない生活というのはあまりに面白くなさすぎるから毎日暇さえあれば見ているけど、こんなのを見ていれば嫌でも考え方が捻じ曲がってしまうよなとは少しその面倒くささにも同情をし得ない。
◆
この頃あまりに読まなくなってしまったが、本を読んでいたりすると改めてSNS社会の面倒くささに、SNSを除外した社会の気楽さに気付く。
もっとこの世界は単純なはずである。
多様性なんて言葉にも限度があると私は思う。
現実の人間関係では合わない人は、避けられない状況を除けば基本的に排除していく。
だって合わないから。
確かに"合わない"というだけあって自分にない考えを取り入れたりすることは可能なのだろうが、そんな人間とストレスを抱えながら付き合っていくことが上回るメリットだとは私には到底思えない。
"そういう"考えをするなら勝手にやってくれればいい。こっちが関わっていく必要はない。
お互いそうやって距離を置くことも重要なのでは?
多様性とは時に面倒くさい。
◆
最近買ったライトノベルを読んでいると、段々眠くなってきた。
意識が戻ってくればその時に初めてさっきまで寝ていたことに気が付く。
「さっきまで読んでいた文章ってどこだっけ。」
今日はもう眠いから、流れに任せて寝てみることにする。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?