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12倍希釈

煙草の煙が高く上る。

20歳になってから1年、煙草を吸い始めてから実に1年の時が経った。

香りは強く記憶と結びついている。

「お酒は飲んでも煙草は絶対に吸わない。」

そうやって言っていた時期が懐かしくも、今ではルーティーンのごとく煙草を吸う毎日になった。

なぜ吸い始めたかのか、別に劇的なきっかけがあった訳ではない。

20歳になるにあたって解禁される嗜好品をそれまで律儀に守っていたことが、そういった興味を唆ったというのはまあ1つにある。

ただ同時に、あの頃は恋人と別れた時期でもあった。

煙草の香り、風味、そんなのはただの煙に過ぎないないけど、あの頃の味は一味違ったように思う。

今まで出来たことのない恋人という存在。

付き合った期間というのは実に短いものであったけど、それに反して"好き"という気持ちは中々離れてくれないものだった。

別れても、ずっと会っていた。

むしろ、別れてからの方が会う口実をなんとか作り上げ、会っていたように思う。

相手はもうそういう気はなかっただろうし、そんなことはもう頭では十分に分かっていた。

それでも、また自分にとって都合のいい結果がまた先にあるんじゃないかと思わせる出来事が起きれば、気持ちがここから浮き上がっていくようだった。

反対に、将来性のなさを意識すると、人生が終わったかのように酷く気持ちが沈んでいたことは未だに記憶の中に刻まれている。

自他ともに感じる息の苦しい生活も、一概に悪かったという訳ではないように思う。

そこに付随した感傷は、世界を濃く、鮮明に染めた。

音楽は自分の行動をそのまま変えてしまうほどに意味を持ったし、煙草はどこか美味しかった。

どれだけ好きで、その時は忘れられるはずがなく、この先どうなっていくのだろうと囚われていた人の存在すら、意外に機会さえ失えば俗に時間が解決してしまう。

なんというか、今の自分にはそういうのが足りないような気がする。

時間にして12ヶ月、感情は12倍に希釈された。

この頃、顔も知らない誰かの失恋のエピソードを読むことにハマっている。

別に自分がそういった感情に苦しめられている訳でもないし、解決策が知りたい訳でも気持ちを共有したい訳でもない。

当然ながら、そういったことを思いながら生きている人を憐れんでいる訳でもない。

人生の着色、ある種そういったことに対して次を踏み出せていない自分の憧れに似た感情もあるのかもしれない。

誰かの記憶に基づく感情の疑似体験。

煙草の味も心做しか12ヶ月前の時に似ているような気がした。

noteを開き、「失恋」というワードを打ち込んでいる自分。それはある種滑稽だったりもして自分で自分にウケるけど、言葉の向こうにいるその人達は本当にそういったことに悩んでいて、苦しんでいる。

それが友達だったら不謹慎で言えないけど、心底羨ましい人生だと思う。

今は分からないかもしれないけど、感傷は芸術を彩る。

今聴いている音楽も、纏っている香水も、喫煙者なら煙草も、1年後には随分と味気なくなってしまうから。

恋愛だけが全てじゃないけど、それは確かに、人生に必要な感情の1つなのだと思う。

またそういうこともあるのかな。

まあ今はわかんないけど。

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