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人の数だけ価値観があるというけれど

自分にどれだけ自信がありますか?

もちろん自信があっても なくても、どちらもよいと思います。
これは場合や内容によって回答が変わるといえます。

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私にとって自信といえば、
「自分に対してどれだけ納得できているか」ということになります。

考えを吟味して 納得する言葉を交わし
自分の行動を程よく(自分がちょうどいいくらいで)律して

そんな風にして、いくらか、もしくはわりと
満足した行動をとれたと思う日々が続けば、自分自身の気持ちや行動に納得できます。それが私にとって少しずつ自信になっていきます。

納得 納得 と言い過ぎて、「納得ってなんだろうな」と思いました。

改めて調べてみたところ、

『納得』
▶他人の考え・行為を理解し、もっともだと認めること。

と ありました。理解する対象は「他人の」なんですね。
『理解』の中でも一部にしか『納得』が含まれないからだと思います。

たしかに こう言ったりしますよね。

"あなたの言っていることは解る(理解できる)けど、
私には分からない(納得できない)。"とか。

さて自信の話に戻しますが、

では"自分に対して"『納得する』という場合には、
まずは自分を客観的に見るステップが必要ということになります。

これは他人に認められるために客観的に見る必要があるのではなく、
(自己満足にならないようにするためでもありますが、)

広い視野で見た時に、
多方面にとって自分がどんな役割をもっているかを知ったり、
もっとこうしたらいいのではという建設的な見方を得られたりして、
自分や周りの人にとって おおよそメリットがあるステップだからです。

そうやって自分自身で納得したことで、自信ももてるかと。

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ここで問題かなと思うのが、
物事の理解は皆ある程度一定であっても
『納得』は人の価値観によって変則的であるということです。

どれだけ成績がよくても、「まだまだ落ちこぼれだ」と思う人もいて
どれだけ貧乏な生活でも、「朝日が気持ちよくて幸せ」と思う人もいて。

どんなことも、その人の価値観が全てを決めるんだなと。

人との関わりや会話でも、
自分がいくら「こう」と思っても、
相手が「こう」と思う何かがあるわけで。

自分がよかれと思っても、相手にとってよからんこともあって
相手が怒っていなくても、自分にとって辛いと思うこともあって。

"自分が何をしたか"ではなくて、"相手がどう思うか"が全てです。
だから何かを評価する場合、客観的に評価できる指標や主訴そのままをもとにしなければなりません。

反対にいえば、自分の気持ちは相手にはっきりと伝えなければほとんど何も伝わらないと考えていいと思います。

そうは分かっていても、相手が自己基準すぎたり 自分がなかなか気持ちを表せなかったりして。難しいところもあります。


自分という存在、自分にしかない価値観があるということ
これは本当に確かなことで、はじめから少しでも自信をもっていいものです。

自信をもつために自分へ納得する、その大元となる価値観は皆1人ずつ違っていて価値があるものとして自信をもてるものなのです。こうやって自信を増やしていくのです。(ちょっと日本語が変ですがこの一文に全てがまとまっています)(この一文ができあがるまでに難解な長文が必要でした)

明日もがんばるぞっと|ᐕ) ⁾⁾

2020.1.21 さいちゃんより

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