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#100 賢治の時代の行方と現代【宮沢賢治とエミリィ・ディキンスン その38】

(続き)

○ 賢治の時代の行方と現代

宮沢賢治が生きた時代は、結果的に第二次世界大戦によって、日本、そして世界の破壊へとつながりました。

賢治の晩年の世相には、軍国主義の拡大や社会主義者の弾圧など、賢治達が夢見ていたのとは違う、破局への予感が漂っています。そして、晩年の賢治からも、挫折感のようなものが感じられます。

賢治と同年に亡くなった新渡戸稲造は、新しい時代の国際協調や平和を願い、国際社会の中で華やかに行動し続けた人物でした。しかし、晩年の新渡戸にも、賢治の晩年と同様の挫折感のようなものが感じられます。

賢治や新渡戸の晩年から感じられる挫折感のようなものは、賢治や新渡戸の個人的な挫折だけではなく、本来は新たな思想によって輝かしい未来に進むはずだった、人類全体の挫折感であるようにも見えます。

そして、第二次世界大戦による破壊の結果、物質的な面だけではなく、文化や思想的な面においても、大戦前からの連続性が失われたのではないかと思われます。

戦後の日本では、物質面では驚異的な復興を遂げ、経済的な繁栄を迎えました。一方、思想や文化的な面においては、賢治が生きていた時代のような、海外や、非合理的(霊的)な世界にまで越境しようとする力は失われたように思われます。

世界的にも、大戦でのヨーロッパの破壊や東西冷戦などにより、文化・思想面での交流や発展において、大戦前との連続性が失われたようにも見えます。

人類学者の中沢新一は、「賢治が生きていた大正から昭和の初期にかけての、いわゆるモダニズムの時期というものを、世界的な規模で、横断的に考え直してみる必要がある」。そして「その時代が、想像力にとって、きわめて豊かな時代であった」と語っています。その上で、戦争によって「宮沢賢治の空前絶後の作品を生み出していた、その母体となった空間もまた、それといっしょに埋葬」されたとし、賢治を理解するためには、「大規模な発掘のプロジェクトを、はじめてみる必要がある」としています。

平易な言葉がリズム良く並んだ物語の背後に、広大な世界観を持った賢治作品は、文芸批評家の倉数茂が語ったように「近代を書き換える「神話」を作ろう」としていたようにも思えます。

現代の我々は、約100年前の宮沢賢治の作品を、過去の作品として、文明や文化が進んだ現代から、優越的な立場で解き明かそうとしがちですが、実は、当時の賢治が持っていた巨大の知の水準に、100年経った今でも到達できていない可能性もあります。もし、そうだとすると、いまだに賢治の作品の魅力が失われていないことや、賢治作品が、現代社会の予言書であるかのように見えることも納得できます。賢治の時代の行先が不幸な世界大戦だったことを考えると、来るべき未来の出来事として、賢治の時代を見つめ直すことが重要であるようにも思えるのです。

(続く)

2023(令和5)年11月10日(金)

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