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#184 宮沢賢治と比叡山【宮沢賢治とシャーマンと山 その57】

(続き)

宮沢賢治と政次郎の親子は、伊勢では伊勢神宮を中心に、京都では比叡山の延暦寺を訪れたと言われている。

伊勢神宮は、明治維新の新政府を支えた国家神道にとっての聖地であり、当時の信仰にとっての最重要施設の1つであることから、当時の信仰を語る上では欠かせない場所だったのかもしれない。
一方で、不思議に思えるのは、二人が比叡山を訪れている事である。宮澤家や政次郎が信仰していた浄土真宗の本山は京都の西本願寺であるし、日蓮宗の総本山は山梨県身延山の久遠寺だ。

そのように考えると、比叡山は一見、賢治にも政次郎にも無関係なように見える。
なぜ、比叡山を選んだのか?比叡山とはどのような山なのだろうか?

私自身は、比叡山が京都の周辺の山々の1つであることは知っていたが、京都の街から見えるどの山が比叡山かわからないし、そもそも比叡山が位置する場所のほとんどが滋賀県に属することも知らなかった。

政次郎と賢治の父子旅も、伊勢方面から比叡山を目指したこともあってか、滋賀県の坂本から比叡山へ登っている。現在では、滋賀から比叡山を目指す道のりにはドライブウェイやロープウェイも整い、二人が旅した時より遥かに交通の便が良いはずだ。しかし、それでもなお、山上の延暦寺に向かうためには急峻な斜面を上がっていかなければならず、隔絶した世界であることが感じられる。当時の二人は歩いて延暦寺を目指した模様で、本当に大変な道のりだったようだ。そのような道のりを見るにつけ、二人にとって、比叡山が重要な目的地であったということが想像できる。

【写真は、比叡山の東塔の阿弥陀堂】

(続く)

2024(令和6)年5月7日(火)


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