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墓じまいの話

積年の懸案だった「墓じまい」をついに断行することとなった。
母が亡くなるまでは、と先送りしていたのだ。

6年前に父が他界してから実家の墓の管理を担うことになったのだが、これが思いのほかたいへんだった。
墓地は実家の菩提寺の境内にあるのだが、家から片道2時間程度かかり、そんなに頻繁に行き来することができない。それを言い訳にして、せいぜい年に2回春と秋のお彼岸くらいしか墓参りをしなかった。
その結果必然的に、春のお彼岸には厚く積もった枯葉の掃除、秋のお彼岸には大量に生い茂った雑草取りに追われることになった。しかも秋は猛烈なやぶ蚊の襲来に悩まされる。

高齢であった生前の父は、このような墓の管理という厄介な仕事をおそらく一人でかかえこんでいたのだろう。
長年の不摂生がたたり父の数年前に先立った兄も、交通事故に遭って以来足腰が著しく弱っていた母もまったく当てにならなかっただろうから。
(かくいうわたしもそんな父の苦労などまったく気づかなかったのだけれど。)

秋の草取りは3年くらいで疲れ果て、以後は業者に頼ることとして、年に1回お盆前の時期に墓地の清掃や草取りを代行してもらっていた。
そんな事情もあり、もとより生前の父が菩提寺での永代供養を望んでいたので「墓じまい」が懸案となっていたのだ。

今年1月に母が95歳で亡くなった。
これを潮に菩提寺のご住職に墓じまいの相談をもちかけ、埋葬されているご遺骨(祖父、祖母、父、兄の四柱)と母の遺骨の永代供養をお願いした。
墓石撤去及び整地等の作業については、ご住職から出入りの石材業者に見積りを依頼してもらった。

話はトントンと進み、母の四十九日法要の日にお墓の閉眼供養も一緒に執り行うこととなった。
その四十九日法要並びに閉眼供養の3日ほど前、ようやく石材業者の見積りがお寺を介して郵送で届いた。
その見積額を見てびっくりした。想定していた上限額の倍を超えていたのだ。
あわててご住職に電話をした。
「ちょっとお高いのではないでしょうか」と聞くと「そうですかなあ」と、当然ながら同意は得られない。

「お寺の檀家は、みなさんこちらの石屋さんにお願いしているのですか?」
「9割がたはそうですよ」
「別の業者さんにお願いするケースはないのでしょうか?」
「1件ありましたかな。いや、別の業者を探していただいても全然かまいませんよ。こちらからご紹介することはできないが」

というわけで急きょ自力で別の石材業者を探すことになった。
ネットで検索すると「お墓」関連の業者仲介サイトが続々と出てくる。その中から適当に3件を選んで依頼内容を入力すると、各サイトを通じて紹介された業者から相次いで連絡があり、それら3つの業者に見積りをお願いした。

そうこうするうち母の四十九日は予定どおり行ったが、閉眼供養は石材業者の立ち合いが必要とのことで日を改めることとなった。四十九日法要では、母の遺骨だけ墓地の敷地内の永代供養墓に納骨した。

四十九日法要の際に、ご住職から気になる話を聞いた。
当家の墓地の区画は他の多くの区画に比べてもかなり広めである、これはご遺骨が土葬されている可能性が高い、実際に祖父が埋葬された昭和30年前後には土葬が一般に行われていた、と言うのである。
土葬された遺骨を永代供養墓に納めるなど改葬する場合、掘り出した遺骨をあらためて火葬するという規則があり、石材業者には火葬の代行も依頼しなければならないようだ。

出入りの石材業者から届いた見積書をあらためてよく見ると、備考欄に「土葬掘ありの場合、別途追加料金発生」との趣旨が書かれている。
そこで、見積もり依頼中の3業者に連絡して、土葬ありの場合も含めた料金の計算をお願いした。
ある業者からは、土を掘り返す際に機械を使用してもよいか手掘りのみかと聞かれ、ご住職に電話で確認し、その回答をまた電話で連絡するなど対応に追われた。

そんなこんなで業者とのやりとりも含め、いろいろと気疲れし、ぐったりしてしまった。

考えてみると、気疲れした理由は煩雑さだけではなかったようだ。

そもそも遺骨の埋葬や先祖の霊の供養といった事がらは、日常の俗事とは一線を画したデリケートな世界に属すべき問題である。
本来そのような問題は、業者と交渉し、見積りを取り、費用を確定するというようなきわめて世俗的な手続きとはなじみにくいものだ。
そのような相性の良くない二つの事がらを結びつけて考え、手配し、判断せざるを得ないという状況に疲れてしまったのではないだろうか?
いわば、聖と俗の境界を侵しているような奇妙な居心地の悪さといった感じだろうか?
いや、より正確に言えば、聖と俗の境界を平然と侵している自分自身に違和感を覚え、怖れを抱いてしまったのかもしれない。

そのような思いをするくらいであれば、むしろお寺の出入りの業者の言い値で作業をお願いする、というのがあるべき態度であったのではないか?
檀家のうちの9割がたが(たとえ少しばかり価格設定が理不尽であったとしても)お寺御用達ごようたしの石材業者に頼るのも、そのような理由からではないだろうか?
そんなことを考えてしまった。

そんなもやもやした気分を味わいながらも、どうにか石材業者の選定にこぎつけた。見積額は、土葬の掘り起こしや火葬代行も含め、当初の石材業者の(土葬なしの)提示額の三分の一を切る額だった。

業者立ち会いのもと閉眼供養も無事すますことができた。
当日、業者が墓地の納骨スペースを確認したところ、案の定骨壺は三体分しかなくて、遺骨一体は土葬されているようだ。その日は生憎の雨であったため、遺骨の取り出しや墓石撤去等の作業は後日行うこととなり、あとはすべて業者に委ねることで、ようやくほっと一息つくことができたのだった。

数日後、業者から、作業が全て終了したというメールが整地後の墓地の写真とともに送られてきた。
丁寧にお礼の返信をしつつ「祖父のお骨はすぐに見つかりましたでしょうか?」と聞いてみた。
ところが驚いたことに、区画全域を2メートル掘り下げたが、遺骨は出てこなかったとの返事! そのため、お墓の土をお寺の本堂で供養することになったらしい。

ネット情報によれば「土葬した遺骨は数十年から百年かけて土に還る」とのこと。祖父の土葬から約七十年経つ。どうやら遺骨は跡形もなく分解してしまったものと考えられる。

業者にしてみれば、遺骨が見つからなかったためにかえって区画全体を掘り下げなければならなかったわけだ。しかもご住職からは、遺骨を掘りあてる作業に際しては、損傷を避けて手掘りのみでおこなうよう指示されていた。慣れているとはいえ、たいへんな作業だったのではないだろうか?

「お支払いは当初のお見積りの額でよろしいでしょうか?」とメールで恐る恐る問い合わせると「火葬及びそれに付随する役所の手続きがなかった分○○円差し引かせていただきます」との返信。
重ね重ね申し訳なく、心のなかで手を合わせた。


それにしても最初にお寺を介して提示された見積りはいったいどういう根拠だったのだろうか?
と、我ながらつくづく情けないのだが、最後まで俗事が頭から離れないのだった。





※タイトル画像は杉江慎介さんからお借りしました。ありがとうございました。

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