SATOSHI

令和2年3月末に、35年勤めた職場を退職しました。インドア派・無趣味。ロシア文学のこと…

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令和2年3月末に、35年勤めた職場を退職しました。インドア派・無趣味。ロシア文学のこと、行き当たりばったりの読書記録、その他心に移りゆくよしなしごとを気ままに綴っています。

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  • 日々雑感

  • カズオ・イシグロを読む

  • ロシアのニュース・サイトから

    ロシアの最近の新聞記事等を試訳・要約して紹介します。

  • ドストエフスキーについて

  • チェーホフを読む楽しみ

最近の記事

墓じまいの話

積年の懸案だった「墓じまい」をついに断行することとなった。 母が亡くなるまでは、と先送りしていたのだ。 6年前に父が他界してから実家の墓の管理を担うことになったのだが、これが思いのほかたいへんだった。 墓地は実家の菩提寺の境内にあるのだが、家から片道2時間程度かかり、そんなに頻繁に行き来することができない。それを言い訳にして、せいぜい年に2回春と秋のお彼岸くらいしか墓参りをしなかった。 その結果必然的に、春のお彼岸には厚く積もった枯葉の掃除、秋のお彼岸には大量に生い茂った雑

    • 紙の本に復権のきざし?

      以下は、2023年の3月に公開し、その後ある事情で削除していた記事を、若干修正したうえで、再掲載するものです。 * 新聞で意外な記事を読んだ。アメリカで紙の本の人気が復活し、「約10年続いた(書店の)店舗数の縮小傾向に歯止めがかかってきた」とのことだ。 2021年の米国市場での紙の書籍販売が、調査を開始した2004年以来で過去最高(8億2800万冊)を記録したというのだから驚きだ。新聞記事は、コロナ禍による「巣ごもり需要で読書ブームが再燃」したことが需要反転のきっかけで

      • リピートする快感

        ネットフリックスでドラマ「ブラッシュアップライフ」(全10話)をいっきに見た。 2023年に日本テレビ系列で放映された連続ドラマだ。 安藤サクラ主演、脚本がバカリズムという一癖も二癖もありそうなドラマなのだが、見始めたら止まらない、とにかくめっぽう面白かった。 安藤サクラ演じる主人公のあーちんこと麻美は若くして事故死するのだが、死後案内所で受付係(バカリズム)から来世は南米のオオアリクイだと告げられ、ショックを受ける。 「いやなら今世を生きなおすこともできますよ」とのこと

        • 時間・自由・芸術

          丸谷才一の『たった一人の反乱』(1972)を読んだ。 それなりに面白く読んだが、正直言って、この小説にはさほど強い感銘を受けなかった。 なによりも主人公である「ぼく」にほとんど共感することができなかった。 それはそうだ。 主人公の馬淵英介は、通産省のエリート官僚出身で、民間の電機会社の重役に天下りし、妻の病死後一年も経たずに若い美人モデルと再婚する人物である。 やっかみ半分と言われればそのとおりだけれど、そんな鼻持ちならない人間に感情移入などできるわけがない。 おそらく、

        墓じまいの話

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        記事

          丸谷才一『笹まくら』

          金銭的理由はともかく、むしろ保管スペースがないことから極めて貧しいわたしの蔵書の中に、たまたま丸谷才一の文庫本が四冊混ざっている。 今回は、その中から『笹まくら』(新潮文庫)をとりあげる。 この本をいつ読んだのかまったく覚えていない。あるいは読みかけて放り出してしまったのかもしれない。 幸いなことに、今は、そういった放置されていた本とじっくり向き合う時間がある。 時間はあるが、一方で残された時間を無駄にできないという想いもある。 読んだことをなるべく忘れずにいたい。忘れない

          丸谷才一『笹まくら』

          ささやかな死

          朝早く電話がかかってきた。 母が入居する老人介護施設からだった。 「お母様の血中酸素濃度が80を下回っています。昨日よりさらにお加減が良くないようです。予定より早めに来ていただけますか」 その日は医師の往診に合わせて11時に施設を訪問する予定になっていたのだが、時間を早めてつきそってほしいとの用件だった。できるだけ早く伺うと答えた。 母が食事をとることが困難になりつつあると施設から知らされたのは、つい1週間ほど前のことだ。 細かくきざんだ流動食を介護士にスプーンで口に運ん

          ささやかな死

          丸谷才一『輝く日の宮』

          『輝く日の宮』(2003)を久しぶりに再読した。 いたく感動したというのでも、心を揺さぶられたというのでもないが、ひじょうに上質な物語を存分に味わったという心地よい充足感があった。 最初読んだときに面白いと思い、そのうちいつものように内容をあらかた忘れてしまい、いずれまた読みたいと思っていた。 大河ドラマの影響もあって、今年は『源氏物語』ブームになりそうな予感があり、そんなこともすこし再読のきっかけとなった。 読み終えてみて、あらためて、学識の深さと類まれなストーリーテ

          丸谷才一『輝く日の宮』

          ロシア語能力検定試験

          2023年10月末に第82回ロシア語能力検定試験2級を受験、12月13日に合格証書を受け取った。 同試験は300点満点で、内訳は文法100点、露文和訳、和文露訳、聴取(ヒアリング)、口頭作文が各50点である。 合格基準は、これら5科目すべてにおいて60%以上の得点を満たすこと。 ちなみに口頭作文とは、与えられた身近なテーマで10分間ロシア語による自由作文を行い、その後3分間で各受験者に配布されたICレコーダに一斉に口頭録音する、というものだ。 試験を終えて「今年は難しかっ

          ロシア語能力検定試験

          死ぬとは、即ち生きること

          人間自身は決して時間を止めることができない。 だからこそ、時間を止めるものであり、時間を超えて生き続けるものでもある彫刻・絵画などの芸術作品に、人間は強く惹きつけられるのではないか。 そんな趣旨のことを前回の投稿で書いた。 それ以来、「時間」というものについて考えをめぐらしている。 人間にとって「時間」とは何だろう? * 『日本経済新聞』朝刊の最終面に月替わりで毎日連載される「私の履歴書」。 今年最後を飾るのは女優の倍賞千恵子さんだ。 その初回(12月1日)に、こん

          死ぬとは、即ち生きること

          仏像の「静」と「動」

          十一月初旬に三泊四日で奈良へ行ってきた。 一日は奈良に住む職場の元同僚につき合ってもらい、ススキで有名な曽爾高原を散策した。 それ以外は、主として、ひとりで仏像を見て回ることに時間を費やした。 前回の投稿(十一面千手観音の想い出)から考えていたことがあった。 仏像には「静」と「動」の二種類があるのではないか、ということだ。 「京都・南山城の仏像」展で展示された仏像たちの中では、浄瑠璃寺の阿弥陀如来坐像が「静」の仏像の代表であり、海住山寺の十一面観音菩薩立像が「動」の仏像の

          仏像の「静」と「動」

          十一面千手観音の想い出

          東京国立博物館で特別展「京都・南山城の仏像」を開催中だ。 先日、担当学芸員の方による記念講演会に参加し、その後展示会場で旧知の仏像たちと再会を果たした。 南山城と呼ばれる京都府最南端の地域に、在職中に二度赴任した。 最初の赴任は2010年前後、当時小中学生の子ども二人も一緒に家族四人で三年間を過ごした。二度目は、東京に戻ってから三年を経て、単身で一年間だけ赴任した。 木津川流域のこの地域は、平城宮跡から近いこともあって広い意味で奈良文化圏の一部であり、由緒ある寺院が点在し

          十一面千手観音の想い出

          カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』

          一組の男女が真に愛し合っていること、あるいはそれを証明できることが、なんらかの権利や恩恵、救いを得るための条件である、ということ。 このモチーフは、イシグロの長編小説でたびたび用いられるものだ。 わたしが読んだ順で言えば、まず『クララとお日さま』(2021)。 AF(人工親友)のクララは、自分の主人である少女ジョジーを重い病から癒してほしいとお日さまに懸命に祈る。その際に、ジョジーがそのような依怙贔屓に値することをお日さまに納得してもらうために、ジョジーと幼なじみのリック

          カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』

          カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』

          『わたしを離さないで』(原題:Never Let Me Go, 2005)を読んだのは初めてではない。 いつだったか正確には覚えていないが、かなり前に一度読んだことがある。 詳細な内容はほとんど忘れてしまっていたが、どういう人たちについての話であったかは、もちろん覚えていた。 今回、わたしはこの小説を、「初めて読むかのように」戦慄しつつ再読した(土屋政雄訳、ハヤカワepi文庫)。 主人公は、三十一歳の女性キャシー・H。例によって「一人称の語り」で、過去の記憶を回想する形式

          カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』

          カズオ・イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』

          カズオ・イシグロは比較的寡作な作家であり、長編小説に限定すれば発表されている作品は全部で八つである。 これまで、それらのうちの五つについて note に拙い感想を記してきた。残るのは次の三つだ(刊行年は邦訳)。 『わたしたちが孤児だったころ』(2001年) 『わたしを離さないで』(2006年) 『忘れられた巨人』(2015年) 今回は『わたしたちが孤児だったころ』について書いてみたい。 『わたしたちが孤児だったころ』には、それ以前のイシグロの作品と明らかに異なる(とわた

          カズオ・イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』

          常識について

          前回の投稿で、常識というものは、ある集団なり社会なりに固有のものだというような趣旨のことを書いた。 それをきっかけとして、あらためて考えたみた。 特定の集団や社会に属するものではなくて、ある人間に固有の、個人的な「常識」というものもあるのでないだろうか? 常識とは英語で言えば "common sense" つまり「共通感覚」である。 常識=共通感覚だとすれば、個人的な「常識」などそもそも「語義矛盾」ということになる。 しかし、世間的な「共通感覚」とは一線を画すような、個々

          常識について

          世界人口1億人計画

          ロシアの新聞のサイトからちょっとした記事を紹介するシリーズです。 いつものことだが、拙いロシア語レベルで太刀打ちできる都合の良いニュース記事を探し出すのに苦労している。 今回は『プラウダ・オンライン』(Pravda.ru)のサイトから。 ざっと目を通したところ「不穏な気配」が漂うインタビュー記事があり、興味を惹かれた。 これはいったいなんだろうと思いながら、以下に訳してみた。 一部訳しづらい部分があり、分かりにくいと思うが(これもいつものことだが)ご容赦いただきたい。

          世界人口1億人計画