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(11)『谷間』―貧しく虐げられた者への賛歌―

チェーホフの中期以降の小説作品をひとつひとつ読み込んできた。
残った作品は、もうほんのわずかである。
今回は、最晩年の名作『谷間』(1990)をとりあげる。

貧しい寒村で食料雑貨店を営むツィブーキン一家をめぐる出来事を描く物語である。
主要な登場人物は、まず、あこぎな商売で抜け目なくもうける商店主のグリゴーリー老人。
その長男のアニーシムは、警察の捜査課に勤務し、ふだんは町で暮らしている。
次男のステパンは、店を手伝うが、病弱なうえ頭も少し足りずあまり助けにはならない。
その代り、次男の嫁で、器量がよく目端も利くアクシーニヤが店を切り盛りする。
グリゴーリー老人の後妻のワルワーラも器量よしだが、貧しいものに惜しみなく施しをする優しい女である。
そんなワルワーラの発案で、たまにしか村へ帰らないアニーシムにも嫁をとることとなり、やはり器量のよい娘が物色されて、近在の村に住む評判の美人だがひどく貧しい日雇いの娘のリーパがツィブーキン家に嫁いでくる。

村の名家であり、はた目にも恵まれた家族でありながら、このツィブーキン一家にはなにやら不穏な空気が漂っている。

一つには、ツィブーキンの店のあくどい商売である。たとえば、「臭くて樽のそばに立っていられないほど腐った塩づけ肉」を百姓に売りつける、粗悪なウォッカの掛売のかたに「酔っ払いから大鎌や、帽子や、女房の頭巾まで」巻き上げるなど、「そうした罪業の数々が積もり積もって、もう霧のようにあたりに立ち込めているような気がする」とまで描写されている。
アニーシムとリーパの婚礼のためにワルワーラとアクシーニヤの晴れ着の新調を請け負った仕立て屋の姉妹が、グリゴーリー老人から現金の代わりに店の品物で支払を受け取り、欲しくもないろうそくやいわしの油漬けを手にして帰って行く途中、野原で座り込んで泣き出す場面は哀切である。

二つ目はアクシーニヤの野心である。商才に長けたこの嫁は、町の有力な工場主の一家の「兄貴株」とねんごろになり、この一家にけしかけられて、ツィブーキン家が所有する土地に煉瓦工場を建て、自分で経営したいと考えている。ところが、グリゴーリー老人に認めてもらえず、老人を恨んでいる。

さらに、ツィブーキン家に決定的な波乱をもたらすのが長男アニーシムの犯罪である。この捜査課員はやたら羽振りがよく、家族や自分の婚礼の客にまで気前よく銀貨をふるまうが、実はそれが贋金であったことが露見する。
アニーシムは、贋金づくりとその使用の嫌疑で投獄され、グリゴーリー老人の奔走の甲斐なく、懲役六年を宣告されてシベリア送りとなる。

アニーシムとリーパの間には男の子が生まれたばかりだった。グリゴーリー老人は、ワルワーラのすすめもあり、この哀れな孫のために土地を遺贈する遺言状を作るが、その土地はまさにアクシーニヤが煉瓦工場を建てようとしていた土地であった。
この話を聞いて怒り狂ったアクシーニヤは、グリゴーリー老人に絶縁宣言をたたきつけ、憎悪に任せて大暴れする。中庭に干してあった洗濯物を片端から地面にたたきつけて踏みにじり、リーパと赤ん坊のいる台所へ駆け込みと、「あたしの地所を取った罰」だと言って、かまどの熱湯が入ったひしゃくを掴んで赤ん坊にざっと浴びせかける。
耳をつんざくようなリーパの悲鳴。郡会病院に担ぎ込まれた赤ん坊はその日のうちに死に、その葬儀が済むとリーパは実家に帰る。

三年後、グリゴーリー老人はすっかり老け込み、衰えて、食事も忘れるほどだが、ワルワーラすらもそれに慣れっこになって老人を顧みない。村中で「嫁が食事をさせない」とか「施し物で命をつないでいる」などと陰口までたたかれる始末である。
商売の実権は完全にアクシーニヤが握り、工場主の一家と共同で経営する煉瓦工場も順調で、今では駅前で居酒屋まで共同経営している。
百姓の女房や娘はこぞって煉瓦工場の日雇い仕事に通い、皮肉なことにリーパも煉瓦工場で日雇いをして暮らしている。

この小説の構成の軸となるのが、アクシーニヤとリーパという、ともに若くて器量のよい二人の女性の効果的な対比である。

アクシーニヤは、「あどけない眼」や「長い首の上の小さな頭」や「すらりとした姿」に「何かへびに似た感じ」があると形容されている。如才ない利口な女だが、狡猾で、欲深く、また残忍な正体も見せる。幼子に熱湯を浴びせる仕打ちはとうてい許せるものではない。

一方のリーパは「繊細な優しい顔立ちの、やせて弱々しい青白い娘」で「たえず悲しげな、おどおどした微笑を浮かべ」ている。夫であるアニーシムを怖がり、打ち解けないが、根は陽気な働き者の娘であり、生まれたばかりの我が子を熱愛する、善良で無欲な女性である。

当然のことながら、大方の読者の怒りや嫌悪はアクシーニヤに向かい、他方のリーパにはあわれみや共感が寄せられる。
にもかかわらず、結局、ツィブーキン家はアクシーニヤの思い通りに牛耳られ、一方のリーパは、逆恨みから赤ん坊を殺されたあげく家から追い出される。
このような不正義、あるいは「人物の善悪とその運命の非対称」とでも言うべきものは、チェーホフの作品に珍しいものではない。現実とはそういうものだ、ということだろうか。

チェーホフはなぜこのような作品を書いたのだろう?

赤ん坊が死んだ日の夕方、リーパは小さな毛布になきがらをくるみ、迎えの馬車も待たず、一人で病院から家路につく。
夜更けの道中で、リーパは荷馬車を駆る日雇いの老人と出会い、途中まで同乗させてもらう。リーパは老人に語りかける。

「この子は一んちじゅう苦しんだの」とリーパが言った。「小さな眼であたしを見つめて、黙っていたの、言いたくても言えないのです。ああ、神さま、聖母さま! あたし、悲しくって、床に突っ伏してばかりいたの。立とうと思っても、すぐに寝台のそばへ倒れてしまうの。ねえ、お爺さん、教えて頂戴、どうしてこんな小さい子まで死ぬ前には苦しまなければならないの? おとなは、男でも女でも、苦しんで罪のおわびをするわけだけど、罪もないこの子は、どうして苦しむの? なぜなの?」
「そんなことは誰にもわからないんだよ!」と老人が答えた。(池田健太郎訳。以下同じ)

しばらくの沈黙ののちに、なおも悲しみに打ちひしがれるリーパに対して、老人は次のような言葉も付け加える。

「大丈夫だよ。お前さんの悲しみぐらいなんでもないさ。人間の一生は長いんだ、――まだまだいいこともありゃ悪いこともある。いろんなことがあるのさ。何しろ、母なるロシアはでっけえからなあ!」

この老人の言葉には、善も悪も、幸も不幸もすべて呑み込むような力強さと心の広さが感じられる。
この世の真実は誰にもわからない。わからないことをくよくよしてもしかたがない。母なるロシアの大地のように広い心で、ありのままの人生をそのまま肯定し、受容することしかできないのだ。
作者はそのように言いたかったのではないだろうか。

実際に、リーパは力強く生き抜いていく。

最終章で描かれる三年後の情景、村が夕闇に包まれる頃、煉瓦工場の日雇い作業を終えた百姓の女たちが群をなしてぞろぞろと帰途につく。その群の先頭で、リーパは、「細い声を張りあげ、夕空を仰ぎながら、一日がぶじに終わって休息の時が来たのをことほぐように、喜々として歌っていた」。日雇い女の群れの中には、リーパの母親のプラスコーヴィヤもいる。

小説の最後を以下に引用しよう。

……やがて女たちの群は、ツィブーキン老人に出合った。突然、みんなしんとなった。リーパとプラスコーヴィヤは、五、六歩群からおくれた。老人とすれちがう時、リーパは丁寧にお辞儀をしてこう言った。――
「今晩は、グリゴーリー・ペトローヴィチ!」
 母親も同じようにお辞儀をした。老人は立ち止まって、何も言わずにふたりの顔をじっと見つめた。唇がふるえ、涙が眼にあふれた。リーパは、母親の持っている小さな包みから麦がゆ入りのピローグをひとつ取り出して、老人に手渡した。老人は受け取って、食べはじめた。
 太陽はもうすっかり沈んでいた。道のうえの日差しも消えていた。あたりが暗くなって、ひえびえとしてきた。リーパとプラスコーヴィヤは、先へ進みながら、長い間十字を切っていた。

リーパが過酷な人生を何のために生きるのか。そのような人生にどんな意味があるのか。作者は何も答えない。
とはいえ、アクシーニヤが勝者なのではない。リーパが敗者なのではない。
日々の試練を乗り越え、勤労と休息の繰り返しである日常を穏やかに受け容れて、生きることの喜びさえ感じているリーパが、アクシーニヤより不幸であるとは誰にも言えまい。

人生の目的や意味は、ただ、生きることそのものの中にあるのだ。
そのようなチェーホフの思いが、人生を肯定する究極のメッセージとして、この作品に込められているような気がする。

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