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(12)『いいなずけ』―「希望」という名の到達点―

『いいなずけ』(1903)は、チェーホフが書き上げた最後の小説である。
もっとも、晩年のチェーホフは執筆活動の重点を大きく戯曲に移しており、文字通り最後の作品は『桜の園』(同じく1903)だ。
いずれにせよ、『いいなずけ』はチェーホフの小説世界での「到達点」となった。読者は、チェーホフとともにその先に進むことがもはやできない。

『いいなずけ』の主人公は、地主屋敷で祖母や母と何不自由なく暮らす、若く健康な二十三歳の娘ナージャである。彼女は、神父の息子アンドレイ・アンドレイチとの婚約が整い、結婚を間近に控えている。
アンドレイのことは嫌いでなかったし、ずっと待ち焦がれていた結婚であったはずなのに、ナージャは、なぜか心がはずまず、夜もよく眠れなくなる。結婚式が迫るにつれ、ナージャは「得体のしれない重苦しいものが自分を待ち受けているような恐怖や不安」を感じる。
幸福と得意の絶頂にいるアンドレイとともに新居の下見に出かけ、彼の案内で飾りつけの済んだ部家部屋を見回りながら、ナージャは、何もかも俗悪でばかばかしいと感じ、アンドレイを愛していないことをはっきりと悟る。
ナージャも、彼女の祖母も、母のニーナ・イワーノヴナも、そして婚約者のアンドレイも、町では何ひとつすべきこともなく無為の暮らしを送っている。ナージャは、そんな自分たちの生活のくだらなさ、恥ずかしさに耐えられなくなったのだ。

実は、そんなナージャの「気づき」を陰から促し続けていた存在がサーシャであった。
サーシャは、ナージャの祖母の遠縁にあたる零落した未亡人の息子で、母の死後、ナージャの祖母の援助を受けて、長い間家族同然に扱われてきた。今は、モスクワの印刷所に勤める病弱な中年男であり、毎夏、ひどく体をこわして祖母の屋敷に静養に来る。
ナージャとも気のおけない仲であるサーシャは、ナージャに向かって、ことあるごとに、一家の暮らしぶりをとがめる。その言葉は以下のとおり手厳しい。

「……今朝早く、僕はお宅の台所へ行って見たんです。するとそこに四人の女中が床にじかに寝ている。寝台もない、ふとんの代りにボロを引っかけている、それに悪臭、南京虫、アブラムシ……二十年前とそっくり同じで、少しも変わっていない。……」(池田健太郎訳。以下同じ)
「全くの話、誰ひとりなんにもしない。お母さんは妃殿下のように一ん日じゅうぶらぶらしているし、おばあさんもやっぱり何もしない。あなただってそうだし、お婿さんのアンドレイ・アンドレイチ君にしたって何ひとつしやしない。」
「わたしのアンドレイか……あなたのアンドレイなんか、どうとも勝手になりやがれ! あったら青春をと思うと、あなたが気の毒でね。」
「……可愛い僕のナーヂャ、出かけておしまいなさい! あなたがこのよどんだ、灰色の、けがれ切った生活にうんざりしたことを、みんなに見せつけておやりなさい。せめてあなた自身にでも、見せつけておやりなさい!」
「いいですか、例えばあなたや、あなたのお母さんやおばあちゃまが何一つしないとすると、つまりそれはあなたがたの代わりに誰か他の人が働いているわけで、そうなるとあなたがたが、誰か他の人の生活に食い込んでいることになる。それが、一体、清らかなことでしょうか、けがらわしいことじゃないでしょうか。」

ナージャはサーシャと相談して、祖母や母に黙って家を出る決心をする。モスクワへ帰るサーシャを駅まで見送る口実で一緒に馬車に乗りこんだナージャは、サーシャとともにそのまま汽車でペテルブルグへ旅立つ。

一年後、ペテルブルグで学ぶナージャは五月の試験がすんだ後に帰省する。
祖母も母も、もうナージャをすっかり許してくれていた。
帰途、モスクワに立ち寄りサーシャと会う。サーシャは空元気を見せるが、ナージャには彼の病気がとても重いことが分かる。

故郷の町では、ナージャの一家は、もう「社交界の地位も、以前の声望も、お客を招待する権利も」なくなっていた。祖母や母はアンドレイ神父の親子と出会うのをおそれて通りにも出なかったが、家の中は以前と変わらない。四人の女中も、相変わらず一部屋の不潔な地下室に暮らしている。
六月になって、ナージャが故郷の家での生活にも慣れてしまった頃、サーシャが結核で死んだという電報が家に届く。

チェーホフの最後の小説のラストは次のとおりだ。

 祖母とニーナ・イワーノヴナは、追善供養を頼みに教会へ行った。一方ナーヂャは、なおも長い間部屋の中を行ったり来たりして物思いにふけっていた。彼女は、サーシャの希望したように自分の生活が方向を変えたのをはっきりと自覚していた。そして、今こそ自分がここで独りぼっちの、不必要なよそ者になり、また自分にとってもここでの一切が不必要になったことや、一切の過去が自分からもぎ取られて、めらめらと燃えてしまったように消え失せ、灰まで風に乗って吹き散ってしまったのをひしひしと感じた。彼女はサーシャの部屋へ行って、そこにたたずんだ。
『さようなら、なつかしいサーシャ!』と彼女は心のなかで思った。すると目の前に、新しい、広い、はてしもない生活が浮かんできて、このまだぼんやりした、秘密に満ちた生活が彼女を魅惑して、さし招いた。
 彼女は自分の部屋へあがって、荷物をまとめた。そしてあくる日の朝、身うちの人びとに別れを告げて、生き生きとした晴れやかな気持で町を去った。――二度と帰るまいと思いながら。

ナージャとは「ナジェージダ」の愛称であり、ナジェージダはロシア語で「希望」である。
『チェーホフ全集』第11巻の解説(池田健太郎氏)によれば、ある同時代のロシアの批評家は、『いいなずけ』について「チェーホフの以前の主人公はひとりとして、これほど断固たる一歩を踏み出さなかった。ナーヂャの勉学のための家出こそは、チェーホフの作家活動における新しい段階となるはず」であったと評している。
帝政末期という時代状況もあって、作品発表当時、ナージャは革命運動に身を投じる決意であったとの解釈がなされたようだが、チェーホフ自身は、ナージャが何を目指し、どんな未来を夢見ていたのかについて、何も書いていない。しかし、ナージャがどのような未来を展望したのかは、さして重要ではない。何よりも大事なのは、まさに、チェーホフが主人公に「断固たる一歩を踏み出させた」ことであろう。

ところで、この短編小説を執筆するのにチェーホフは五か月もかかっている。それほど体調が思わしくなかったのだ。
別居する妻への手紙の中でも「一日に、六、七行ずつ書いている。それ以上は無理だ。」「きみに本音をいわせてほしい。僕が今作家であることを止められたら、どんなに嬉しいだろう!」と悲痛な訴えをつづっているほどだ。
チェーホフは、もはや遠くない自分の死をも予感していたに違いない。

となると、読者にとって、同様に結核を病む作者自身とサーシャとが重なってくるのは自然なことであろう。
チェーホフは、死を目前とした自分の作家としての使命を、サーシャがナージャに働きかけたように、読者に対して、すなわち未来を生きる人々に対して働きかけることであると考えていたのかもしれない。

サーシャはナージャを目覚めさせ、生活をより良い方向へ向かわせてくれた教師であり、恩人である。しかし、帰省の途中モスクワで再会したサーシャは、もうナージャにとって「新しい、知的な、好ましい人」とは見えなくなっていた。

 ふたりはしばらく坐って話し込んでいた。ナーヂャは、ペテルブルグでひと冬を過ごしたために、サーシャからも、彼の言葉からも、微笑からも、彼の姿ぜんたいからも、何か古めかしい、時代遅れな、とっくに命を終わってたぶんもう墓の中へ葬られたような雰囲気が漂ってくるのを感じた。

仮にチェーホフがサーシャと自分自身を重ねていたとしたら、そして、自分もサーシャ同様に余命が尽きかけていることを感じていたとしたら、チェーホフはどんな気持ちでこのような文章を書いたのだろう? あるいは、チェーホフらしいブラックユーモア的な諧謔であっただろうか?

ナージャが、サーシャとも自分自身の過去ともきっぱり決別し、二度と帰るまいと誓って未来へ踏み出していくように、チェーホフ自身の生と死も、いずれ過去と一体のものとなって、乗り越えられていくであろう。
しかし、それで構わないのだ。むしろ、そうであらねばならないのだ。なぜなら、『犬を連れた奥さん』のグーロフが瞑想したように「地上の生活は、絶え間なく推移し、完成へと不断に歩み続ける」ものなのだから。
チェーホフは、自分の運命について、そんな風に考えていたのではないだろうか。

このシリーズの第四回で沼野充義氏の見解を引用して述べたように、チェーホフは作品中に自分の分身をほとんど登場させることのない作家であった。
『いいなずけ』のサーシャは、そんなチェーホフが最後の小説作品で唯一意識的に描いた自らの分身であったのかもしれない。

チェーホフは、『いいなずけ』の発表から半年余り後の一九〇四年七月に四十四歳で生涯を閉じた。

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