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我々は、飛躍するために生きている

伸びきったバネは役に立たない。

バネは縮んでこそ役に立つ。

バネを役立たせるには、負荷が必要にいなる。

だから敢えて負荷を掛ける。

負荷があるからこそ、バネは跳ね上がる。

我々は、敢えて負荷を掛けるために、この地球にやってきている。

自らに負荷を掛け、大きくジャンプできるようにこの地球上に降り立った。

誰もが、自分に負荷の掛かる環境を選んでこの地球に生まれてきている。

だから、負荷の大小はあるにせよ、誰もが生きていると負荷の掛かるようになっている。

負荷が掛かることで、傷つくこともあるだろう。

でも傷ついているのは自分というエゴの方であり、魂は全く傷ついていない。

むしろ、魂は傷ついている自分を見て、にっこりと微笑んでいるかもしれない。

なぜかといえば、「自分が傷つく」のは予定通りだからだ。

傷ついた自分、つまり負荷を背負った自分は身を屈めることになる。

傷を負った自分を守ろうと身を屈めるのだ。

でも人は、身を屈めることでジャンプできるようになる。

バネの原理を使ってジャンプすることで、魂の目的を果たすことができる。

負荷を負荷とも思わなくなり、負荷は自分を成長させるためにあるものだったと気づくとき、そこに大きな飛躍が起こる。

我々が、自分自身に負荷を掛けジャンプするためにこの星にやってきたと理解するとき、最初に設定してきた負荷を解除することができる。

しかも、自ら仕掛けた設定を解除できれば、「私」の傷も癒えていく。

負荷が、自分を飛躍させるためにあると知ると痛みが力に変換される。

負荷が、自分を強くすると理解できるようになる。

このことが分かるようになると、今度は、自らの意志で自分に負荷を掛けるようになっていく。

自分に負荷を掛ければ、さらに大きく飛躍できるという理由から、意識的に自分に対して負荷を掛けるようになるのだ。

この自ら意図して自分に掛ける負荷は、いわば第2の負荷であり、名づけるならば「挑戦」ということになる。

最初の負荷は「負荷は負荷ではない」ということを知るためにあり、いわば無意識に仕掛けられた負荷である。

しかし「負荷は負荷ではない」と知ると、それは挑戦に変わる。

目的に向けて負荷を掛けるとき、それは挑戦になる。

目的を達成するために、自分自身に掛ける負荷はもはや負荷ではない。

挑戦とは、自らの意志で身を屈めジャンプをすることだ。

挑戦には明確な目的がある。

目的には、必ず「自分が好きなこと」「やってみたいこと」「理想とすること」が存在している。

こういった「好きなこと」「やってみたいこと」「理想とすること」を達成させるために、身を屈めそれを掴もうとジャンプする。

目的を持った人は、何度でもジャンプする。

それを掴もうと、何度も何度もジャンプする。

そうやって繰り返しジャンプしていると、やがてコツを掴めるようになって、必ず望むものを掴めるようになる。

しかも、明確な目的を持って挑戦し続けると、いくつものジャンプの仕方を習得できるようになっていく。

そして、いくつものジャンプの仕方を習得し目的を達成したら、今度は新しい段階に入っていく。

自ら習得したジャンプの仕方を、他者に教えるという段階に入っていく。

人にジャンプの仕方を教えるということは、それまでとは違った挑戦になる。

自分とは異なる考え、異なる肉体を持った相手にジャンプの仕方を教えることは自分でするよりも難しい。

ジャンプの仕方を教えるということは、それまでしてきた挑戦とは種類が異なるからだ。

しかし、習得したジャンプの仕方を少しでも多くの人に伝達できれば、飛躍する人が増えていく。

そうやって飛躍できる人が増えていけば、今度は人という種が飛躍するようになる。

そうやって人という種が大きく飛躍できるようになったとき、この世界の仕組みが変わっていく。

自分が飛躍できるようになって自信が付いたように、たくさんの人が飛躍できるようになると、人という種に自信が付くようになる。

すると、世の中に対する見方が変わっていく。

飛躍をすることで自信を持った人がどんどん増えていけば、この世界が自信に満ち溢れることになる。

これまでの不安ベースの世の中が、自信ベースの世の中に変わっていく。

自信ベースの世の中とは自分が基準となっているものであり、いわば「自身ベース」の世の中になる。

「自身ベース」の世の中は、繋がりのある調和のある世の中になることだろう。

なぜかといえば、自身ベースの世の中は、自分を知って自分を活かし生かすための世の中だからだ。

自分の中に潜む目的を探り出し、それを達成するために挑んでいける人達は、自分を尊重することが他者を尊重することでもあると知っている。

他者を活かして生きることが、自分を活かし自分を生きることだと知っている。

こういった自分を活かし他者を活かし、全体を高め合っていく世の中を創っていくのが、我々、人類の目的でもある。

今の我々は、種としてそれができるように今まさに屈んでいる状態といってもいいかもしれない。

我々には、今、大きな負荷が掛かっている。

しかし、この負荷は負荷ではないと知るとき、我々は大きくジャンプすることができる。

負荷は飛躍に欠かせない。

飛躍には負荷が必要であると知るとき、我々に大きな変化が起こる。

負荷は乗り越えるためにあると認識するとき、それは達成される。

我々が今、目にしている負荷は、ある種の予定調和といってもいいかもしれない。

我々が、この予定調和の負荷を解消することができたとき、種としての新な挑戦が始まることだろう。

新たな挑戦とは、誰もが喜びで生きていける世の中を創っていくことである。

その挑戦を始められるようになるためにも、今、目の前にある負荷を解消していかなければならない。

負荷は解消できるという目論見で設定されている。

だから、負荷に怯えることなく、それを乗り越えるために動いていけば負荷は負荷でなくなっていく。

大きなジャンプをするために今があると捉えることができたとき、飛躍が起こる。

我々は、いわば人という種として設定された負荷を乗り越えるために、この時代を生きている。

この負荷を飛び超えたとき、その先に新たな挑戦が待っている。

誰もが自分を活かして生きるという挑戦が待っている。

今、目の前にある境界線を飛び越えたとき、新しい世界を生み出す挑戦が始まる。




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