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ホ・オポノポノの4つの言葉の向こう側

このところ、「目の前の現実は自分で創っている」といったことをよく書いています。

なぜかいというと、最近は目の前で起きた現象の原因は何だったのだろう?と内省することが増えているからです。

特に、ネガティブに感じるような現象に出くわしたときに、自分の言動を振り返り、その原因探しをしたりします。

すると当然のように思い当たることが出てくるものです。

しかも、そういった言動を野放図に放置していると、それが原因となってまた新たな現象を生み出すことになってしまうため、何かしらの対策を講じなければなりません。

このため、否定的な思いを抱いた場合は、必ず内省するようにして、そういった思いをゼロの状態に戻すか、プラスの状態に変化させる必要があります。

そこで、最近はそういった状況になったとき、ホ・オポノポノを使うようにしています。

ホ・オポノポノとは「愛してます・ありがとう・許してください・ごめんなさい」とつぶやいたり心で唱えたりすることです。

このホ・オポノポノの4つの言葉を使うと、否定的な思いを中和できるようになり、上手くいけばポジティブな気持ちさえも抱けるようになったりします。

たとえば、お店の店員さんの態度にイラっとしたとします。

僕がイラっとするのは、その店員さんの言動に、ですが、実をいえば、そういった現象を生み出したのは「僕の過去の思い」であり、僕がその店員さんを使ってイラっとするような現象を産み出したということでもあるのです。

この世界は、「鏡の法則」でできていて、自分が思ったことがそのまま現象となって返ってくるようにできています。

僕が苛立てば、苛立つような現象がそのまま返ってきます。

僕が喜べば、喜びを感じるような現象がそのまま返ってくるものです。

このことが「目の前の現実は自分で創っている」ということです。

こういったこともあり、普段、自分がどういった意識で生きているかが、とても重要になってくるものです。

僕がイラっとしたその店員さんは、僕の過去の苛立ちを僕の代わりに演じてくれているということになります。

このため、その店員さんに、僕の気持ちを代わりに演じてくれたことに「ありがとう」ということができます。

また、僕の気持ちを代弁させてしまったことに「ごめんなさい」「許してください」ということもできます。

もちろん、見ず知らずの店員さんに「愛してます」と思うのは難かったりしますが、その店員さんは、僕の思いを演じてくれているわけであり、その店員さんの背後には僕の思いが存在しているため、僕自身に向けて「愛しています」ということはできます。

当然、イラっと感じた瞬間にすぐに「ありがとう・ごめんなさい・許してください・愛しています」という思いを持つことはできません。

しかし、苛立つ気持ちを持ってしまったことを冷静に振り返り、内省したときに、ホ・オポノポノの4つの言葉を唱えることができれば、苛立つ気持ちを中和できるようになるものです。

そして、こういった内省を何度も何度も繰り返していくと、イラっとすることやがてがなくなっていきます。

なぜかといえば、すべての原因が自分にあるからであり、変えるべきは自分自身のあり方だからです。

何かの出来事に遭遇し怒りの感情が出てくるということは、そういった怒りの感情が僕自身の中にあるということです。

つまり、そういった出来事をきっかけにして内省することができれば、心の中をクリーニングできるようになっていきます。

ホ・オポノポノの「愛してます・ありがとう・許してください・ごめんなさい」4つの言葉は、すべて自分自身に向けた言葉です。

「愛してます・ありがとう・許してください・ごめんなさい」4つの言葉を自分に向けることで、自分の中の負の感情をクリーニングできるようになるといっていいでしょう。

自分の中の深いところに「神聖で純真な私」がいます。

ホ・オポノポノでは、この「神聖で純真な私」を「ウニヒピリ」といいますが、「ウニヒピリ」とは「生まれたての赤ん坊」のような存在です。

この「神聖で純真な私」を愛して感謝し、ときに「神聖で純真な私」を傷つけてしまったことに謝罪することができれば、今ここにいる自分を「神聖で純真な私」に近づけていけるようになっていきます。

目の前にいる「あなた」は、「今の私」の反映であり、目の前にいるあなたの向こうには「神聖で純真な私」がいます。

この世界で起こっている出来事は、私の出来事であり、この世界で起こっている出来事の向こうには「神聖で純真な私」が存在しています。

「神聖で純真な私」は、「今の私」に「神聖で純真な私」の存在に気付くように、目の前の人となり、目の前の現象となって「今の私」にメッセージを送ってきています。

そして、そのメッセージを受け取って「愛してます・ありがとう・許してください・ごめんなさい」とつぶやけば、目の前に起こてくる現象が変化していきます。

生まれたての赤ん坊のように光り輝いている「神聖で純真な私」は、常に喜びの中にいます。

もし、今あなたが「喜び」の中で過ごすことができているなら、「神聖で純真な私」の近い場所にいるということになります。

その一方で、今、あなたが「苦しみ」の中で過ごしているのであれば、「愛してます・ありがとう・許してください・ごめんなさい」と唱えれば、「神聖で純真な私」に近づくことができます。

もちろん、「喜び」の中で「愛してます・ありがとう・許してください・ごめんなさい」と唱えれば、ますます「神聖で純真な私」に近づくことができるでしょう。

しかも、今の私が「神聖で純真な私」と近づけば近づいていくほど、何もしなくても、ただ存在するだけで「喜び」を感じられるようになっていきます。

私たちは、ひとつです。

目の前で繰り広げられている物事は、ひとつ一つが異なり分離しているように見えるものです。

しかし、そういった違いの向こう側に「たった一つのわたし」が存在していいます。

ホ・オポノポノの「愛してます・ありがとう・許してください・ごめんなさい」の4つの言葉は、この「たった一つのわたし」に向けた言葉です。

この「たった一つのわたし」に「愛してます・ありがとう・許してください・ごめんなさい」というとき、私は「たった一つのわたし」に帰還できるようになるのです。

そろそろ、我々はもといた場所に戻る時が来ています。

ホ・オポノポノのような精神世界にまつわる情報が、たくさん出てきているということは、我々がもとにいた場所に戻る時期が来たという証といっていいでしょう。

目の前の人や現象は、「今の私」が創り出したものであるため他人事ではなく自分事です。

そんな自分事である目の前の人や現象に「愛してます・ありがとう・許してください・ごめんなさい」と唱えると、「私」が消えて「たった一つのわたし」に戻っていくことができるようになるのです。

放蕩息子である我々は、そろそろ元居た場所に戻る時期が来ているのです。

放蕩息子である我々には宴が待っています。

安堵感の中でくつろいで、そんな宴をのんびりとたっぷり味わっていきましょう。

宴は「私」が消えて、「たった一つのわたし」と出会えたときおこなわれます。

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