自分の常識は、人の常識ではあらず…

※これは、アウトプットでありながらも、
考えを整理して自分へのインプット作業です。

最近、自分の性格って、結構「お節介」なのだな…、と思うことが
あるのです。

どんなお節介かというと…

自分が経験して「良かった、楽しかった」を
言いたくなってしまう。伝えたくなってしまうコト…、ですね。

誰かとの会話の時に、それを上手に伝えられたら良いのだけど、
何時でも上手に弁が立つわけで無く…

言葉には限界があるから、伝えるのも難しい時もある。

特に、文字だけなどは最悪な場合もある。

その様なワケだから、誤解されて
訳の分からないケンカになる場合もある。

それが面倒くさいから、年齢と共に口を閉じてしまうのですが…。

人は自分が生まれ育ってきた環境が、人生観の物差しとなり
そこへ個性も、ともなって物の見方が人それぞれに変わってくる
ワケで…

それがイケないと、いうコトでは無く

おもしろいと、捉えられるならば良いのですよね。
最近、やっとそれが分かって来ました…(笑)

それで当時は、よく奥さんとケンカをしてしまうのですよね。

例えば…、例えばですよ(笑)

しっぽ崎が「リンゴは美味しかった」と発言すると

奥さんの中にでリンゴで嫌な経験を持っていた場合は
急に怒り出すわけです。

その感情に反応して、つい”カッ”としてケンカとなってしまう
ワケです。

ケンカしながらも、しっぽ崎の座右の銘?として

「自分の常識は、人の常識ではあらず」といのがあるので、
20年ちかく一緒にいる奥さんといえども、その常識の妥協点を
模索し合います。

そのお陰か、最近は奥さんが怒っても冷静に話し合えるようには
成りましたが…。(笑)

多くの人は、自分が良かれと思って発言しても、ケンカになっ
てしまう例も多いのでしょう。

その場合に、どちらも良かれの発信同士のぶつかり合いです。
お互いに、善意の部分を尊重し合えば問題ないのでしょうけどね。

この社会は、平均的…。みんな同じ…。すべて共通…。

を望んでいます。

それは、この社会の誰かが、そうであると都合が良いからですけど。

でも人は、全て違います。

例えば、もう一度

「リンゴ」から何を発想するのか、一つだけ答えて…、という問に

色をあげたり、味をあげたり、形をあげたり、品種をあげたり
様々なはずです。

人それぞれで、視点が違ってきます。

いわゆる、これが個性です。

自分が20代くらいの時は「個性的でアレ」と言われ
その個性とは、やたらと特別な物の扱いをされました。

社会を揺るがすくらいの人が個性的という捉えられ方でしょうか
例えばアップルの元経営者で、今は亡き、スティーブ・ジョブス
クラスを指して個性的…

位の勢いですかね(笑)

現在では、個性は悪役であるようですね…。

はっきり言って、個性の意味をミスリードされています。

個性は、物を見る視点の違いであり、考え方の違い…

また、味覚やらの五感の違いです。(あと、何かあったらゴメンね)

そこから、意見が分かれるのは当たり前なんですよね

だから、人は全て違って、全て良いなのです。

また、そうで無くては人の社会は回りません。

人とのコミュニケーションで、悪意がある人の場合も
もちろんありますが、ここでは論外です。

人の見ている世界は、自分の見ている世界とは違う…

いわゆる、自分の常識は、人の常識ではあらずとして

人の違いを認め、尊重し合えば

社会は、もっと風通しが良くなるし

自分も奥さんとも、20年間を仲良く楽しくやって
来られたわけです。(笑)

#エッセイ #夫婦

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?