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クィアな目でメタリカを見る

メタリカ、めっちゃゲイっぽくない?

 実は最近、メタリカにドハマりしてしまった。それで暇さえあれば彼らの写真や動画を探っているのだが、たまにびっくりするほどゲイっぽい構図のものがでてくるので本当にびっくりする。もうここ数ヶ月そのイメージばかりが気になってしまい気が狂いそうになっているのだ。だってクィア研究マンだから...。なので本記事で一度メタリカをクィアの視点で徹底分析してみることにした。

 といっても日本でメタリカとゲイってそんなに結びついていないかもしれない。以下たくさんの例を出していくが、こんなに男同士イチャイチャしているのに戒厳令でも敷かれとるんか?というくらい日本ではそれに関して発信がない(ように思う)。もはや私しか見えてない幻覚なのかと心配になり始めたが、英語圏のメディアを漁ってみると「メタリカのLGBTQっぽい瞬間」を話題にしたものが多数出てくる。

 ちなみに個人的にすごくゲイエロティック!と思うのは特にLoad/Reload時代のメタリカだ。全員髪を短くして、白タンクトップで4人ぴったりくっつかれると「仲の良いゲイ友達4人組」にしか見えないのである。Until It SleepsのMVのように化粧や装飾性の高い衣装を取り入れて「ちょっと妖しげでエロティックな世界」を演出していたのもこの時期だ。そういうの、私は大好きです。

 本記事のように「メタリカとLGBTQ」を語る際よく取り上げられるのがギタリストのカーク・ハメットとドラマーのラーズ・ウルリッヒの「絡み」である。この二人はしょっちゅうキスをしたり抱き合ったり股間をつかみ合ったりしているのだ。

 その中でも個人的に印象深いのが、カークが1991年か1992年のツアーで会場の中継中にラーズに乳を揉まれながら「俺はバイだ!」と宣言している映像である。ここではもはや二人の絡みがはっきりと「男性同性愛」を連想させるものになっている。

 そのため、ネット上には「カークとラーズは実はバイセクシュアルなんじゃないか説」があったりする。気になる方は調べてみて欲しい。これだけを見ると彼らの関係とセクシュアリティは「あやしい」が、一方で彼らは自分たちを「同性愛者ではない」と繰り返し述べる (一度バイセクシュアルを宣言したのに)。ここで「じゃあ何で男性ファンが中心のヘヴィメタル(特にスラッシュメタル)でゲイやバイセクシュアルを”演じた”の?」という疑問が浮かぶ。例えば女性ファンを獲得したいアイドルグループが「BLっぽい」演出でやおい女子層を取り込んでいく、ということはよくある。しかし、野郎のファンばかりがステージの最前列にいるような時代のメタル界で男性同性愛を演出するメリットや意味合いって何なのだろうか?と不思議に思うのだ。そのため本記事ではメタリカ、特にカークとラーズの「ゲイ演出」の中身を紐解きつつ、クィアの視点からそれをどう解釈できるのか書いていく。

80年代~90年代アメリカのゲイたちの状況

 ここでメタリカが活動のピークを迎えていた80年代~90年代アメリカの、クィア(特に男性同性愛)を取り巻く社会状況を確認しておく。当時は「男性同性愛の演出」が現在よりも深刻に受け取られる時代だった。

 大きな出来事はHIV/エイズの流行である。アメリカでエイズの最初の症例が報告された1981年以降、エイズの流行が深刻な社会問題になった。重要なのはこの病気が「ゲイの病」とレッテルを貼られ、「性的倫理に反した者に対する罰である」といった姿勢で治療薬の整備を後回しにされたことである(1981年の症例でも患者が「ゲイ男性である」ことが強調されていた、実際エイズは体液を介しての感染があれば誰でもかかりうる病だが)。つまりゲイたちは「病」と結びつけられ、「変態どもになぜ国家が救いの手を差し伸べてやらねばいかんのだ」という態度で見殺しにされたのである。そしてエイズに関する正確な知識が不足していた当時、一般社会でもゲイたちは「病気をもっている/病気をうつすかもしれない危険なヤツら」として一層強く攻撃された。

 このように差別が極まる状況下でゲイを含めたセクシュアルマイノリティの連帯と、彼らによる急進的な社会運動が発生した。「クィア」という呼称が様々なセクシュアル・マイノリティを包括する言葉として使われ始めたのもこの時代である。当時のセクシュアル・マイノリティによる異議申し立て(以下クィア・ライツ運動とする)は従来のゲイやレズビアンの権利運動以上に直接的であり、攻撃的であった。そのためアメリカ各地で大規模なデモや衝突が発生することもあり、その様子はメディアでも大々的に取り上げられた。ちなみに以下の動画の「ACT UP」とは当時のLGBTQアクティヴィズム団体である。

 詳しくはLGBTQ関連の本を当たってほしいが、ここでは1980年代から1990年代のアメリカではエイズの問題を中心に、クィア(ゲイ)への差別とそれに対するクィア当事者の戦いが激化していたと認識してくれればいい。それゆえ当時はメディアでもクィアのイメージと彼らの反抗の様子が大々的に出現した時期でもある。一方でヘイトを恐れカムアウトできない当事者も多かった。

 では当時のヘヴィメタル界はどうだったか。基本的には社会のマジョリティと同じく「ホモ野郎はあっちにいけ」というスタンスが目立っていた。例えば1989年12月のスキッド・ロウのボーカル、セバスチャン・バックによる「俺はホモセクシュアルのことは知らないし、容認もしない、理解もしない」といった発言や、ガンズ・アンド・ローゼスの’One In A Million’(1988)の「移民もおかまも俺には理解できない」という歌詞は当時のクィア・コミュニティから大きな批判を受けた。

 こうした「ホモ野郎はお呼びじゃねえ」と言わんばかりの姿勢は80年代主流派のメタルにおける「パーティーして女の子とヤりまくろうぜ!」的な空気の延長線にある。つまり当時主流だったメタル(グラムメタル/LAメタル)は「異性愛的な男らしさ」「モテ」「セックス」を主だったテーマにしていたのである。そんな当時のモテまくりヤリまくりのメタルに対抗意識を示したのはスラッシュメタルとグランジだろう。特に後者は若者を取り巻くアメリカの政治情勢に対し非常にシニカルな目線を向けており、例えばカート・コバーンなどはフェミニズムやクィア・ライツの支持をはっきりと表明していた。

 そんな中メタリカは1980年代から2000年代初頭にかけて、「アンチ・モトリー」的な姿勢でスラッシュメタルとグランジそれぞれのシーンを横断する形で駆け抜けていく。ここからメタリカが80年代主流だったセックス・パーティー型のメタル・バンドとは少々異なったセクシュアリティ観を持っていたと考えてもおかしくない(といっても実際はグルーピーとの派手な「パーティー」はやっていたそうだが...)。メタリカが1980年代主流のパーティ・メタルとは異なる点は、まず歌詞の中で性的な要素をほとんど切り落としたことと、(特にラーズとカークが)ゲイに対してシンパシーをもった態度を見せたことである。以下では後者について見ていく。

メタリカのゲイ・アクト

 最初に述べたとおり、メタリカはしばしば「ゲイ的な」イメージを押し出していた。とりわけラーズとカークは「ゲイとして見られる」ような行為を意図的に行っていた。

 二人の親密なイメージは1980年代(おそらくMaster Of Puppetsを出したあたり)から見られるが、Load/Reload期以降より露骨なものになっていく。有名なのは1996年のMTVのインタビューで、おもむろにカークがラーズの肩に腕を回しMouth to Mouthでキスをする映像だろう。やおい女子としては「こりゃあ薄い本が大量生産されるぞ.......」とドキドキしたが、当時こんなに露骨なゲイ・パフォーマンスが公共電波、特にメタル番組で放送されたことに衝撃を受けた。

 こうしたパフォーマンスはLoad/Reloadのエロティックでアーティスティックな方向性を強調するものと言える。「妖しい」「エロい」といったイメージを強調するためにわざとバイセクシュアルを演出することは、ロック音楽に関してはデヴィット・ボウイ以降よく見られるだろう。ただしヘヴィメタルでそれが自然な形で見られるかというとそうでもない。当時メタリカのメンバーがメイクをして、芸術的な方向性に向かったことは非常に拒否感をもって受け取られた。Load/Reloadが「メタリカの暗黒期」扱いされるのもこういうバイセクシュアル的側面への拒否感もあっただろう。

 しかしクィアを取り巻く社会的状況とヘヴィメタルという空間を考えた場合、この「同性愛の演出」はかなり進歩的なものだったと思う。ドイツのヘヴィメタル・バンドのラムシュタインがライブ開催地における反同性愛政策に抗議して、男性メンバー同士でキスをしたのが2019年だったが、メタリカはそれよりもっと前に同じようなことをしているのである。ラーズとカークが上記のMTVでのパフォーマンスにどのような意図を込めたか、という点とは関係なしに彼らのパフォーマンスが1990年代のゲイ・バッシングに対する抵抗として受け取られる可能性もあっただろう。

 実際、こんなに露骨なゲイ・パフォーマンスをするメタリカ(主にラーズとカーク)をメディアが放っておくはずがなく、1996年にはアメリカの大御所ゲイ雑誌The Advocateで二人の親密なエピソードが引用されるに至る。詳しくは下記にまとめたツイートを読んで欲しい。つまりクィア・コミュニティも彼らに注目していたということだ。

 そして大手メディアからも「あれは何なの?」「二人ともゲイかバイセクシュアルなの?」と聞かれることになる。例えばカークはメタリカのファンマガジンSo Whatでこのような発言を残している。 

あれは"人前でタブーをいじる "行為の一つだった。例えるなら火遊びをするようなものだ。子供の頃、火遊びが好きだったんだけど、別に放火魔になったわけじゃなくて、ただ火遊びをすることがが悪いことだから好きだったんだ。それと同じ理由で、ラーズも俺もああいったことをしていたんだ。俺たちは同性愛者でもないし、恋人同士でもない...俺の今までのガールフレンド達に聞いてみればわかるよ。さっきの話に戻ると、俺らは単にユーモアのセンスでもって、見ている人の神経を逆なでしたかったんだ。"Well, it was about flirting with tabboos in public. Its like playing with fire if you're a pyromaniac. As a kid I used to love playing with fire, not that I was a pyromaniac, I just loved playing with it because it was a bad thing to do. For those same reasons is why Lars and I were doing that. We're not homosexuals, we're not lovers...ask all my girlfriends...but going back to that thing before, we're just pushing buttons with a sense of humour, then y'know?

 つまり自分たちは同性愛者ではないが公の場で男性同士がイチャつくという「社会のタブー」をあえて犯す形で、それをいじってみたということらしい。それは「人が眉をしかめること」をわざとやって、規範の転覆や反抗を示すヘヴィメタルの伝統の延長線にある行為だ。ちなみにカークはかなりポリティックなゲイの主張を行うバンド、Pansy Divisionにギターソロを提供したこともあるそうで、もしかしたらゲイやそのイメージに深い関心があるのかもしれない(あくまで推測だが)。

 もっと面白いのが2003年のPlayboy誌での「ヘヴィメタル界のホモフォビアを不快に感じることはある?」という質問に続くこのやりとりである。

ラーズ:全体的に不快に思うよ。最終的に、それはなぜ俺とカークはカメラの前でたまにお互いの舌を突っ込みあうのか?という問題に行き着くんだ。メタルの世界は、できるだけファックされる必要があるんだ。バンドを始めた頃は、みんなゲイ・バッシングのようなことをして、自分のヘテロセクシュアリティを証明しようとしていたんだ。あの「ホモ野郎」みたいなことを言い合って。それで人間としての立場が偉くなると思っているんだろうか?本当に理解できないよ。Ulrich: Totally. Ultimately, why do me and Kirk stick our tongues down each other’s throats once in a while in front of the camera? The metal world needs to be fucked with as much as possible. When the band started, everybody would sit around proving their heterosexuality by gay-bashing and stuff like that. Like, “Oh, fucking faggot.” Does that elevate you to some greater he-man status? I never understood that.
プレイボーイ誌:我々はジェイムズが「おかま野郎」といった言葉を冗談で使うと聞いたけれど、彼はホモフォビック(同性愛嫌悪的)な人間だと思う?Playboy: We’ve heard James use the word fag jokingly. Does that mean he’s homophobic?
カーク:多分そうかもね。ジェイムズはゲイの人たちとあんまり関わったことが無いから、それがホモフォビックになった大きな理由じゃないかな。彼はそういったことを学ぶ必要があるよ。[続けてラーズも]俺もあいつはホモフォビックだと思うね。疑問の余地はないよ。ホモフォビアとは、セクシュアリティに疑念を抱いていて、それに心地よく思っていない状態だと思う。Hammett: Um, probably. James hasn’t had a lot of experience with gay people, and that’s a large reason for being homophobic. He needs to be enlightened in that area. Ulrich: I know he’s homophobic. Let there be no question about that. I think homophobia is questioning your sexuality and not being comfortable with it.

 ここではカークとラーズがヘヴィメタル界におけるゲイ・バッシングに対して問題意識を共有しており、「お互い舌を突っ込み合う行為」が政治的な行為でもあることが示唆されている。その中で「ゲイの権利とか、勉強したほうがいいよ」と(上から目線で)ジェイムズの態度を批判しているのである。実際にジェイムズはデビュー当初から「faggot」「homo」という蔑称を使いがちであったし、ラーズとカークが目の前でイチャイチャするのは嫌だったとも述べていた。ただ当時はメンバー間の仲が最悪だった時期なので、ちょっと言い過ぎな所もあるが、メンバーの対立項としてゲイ・ライツの捉え方の違いが上がってくるのはなかなか面白い。

 個人的にラーズが指摘した「ゲイ・バッシングをすることで異性愛者だと確かめ合う」「ホモフォビアとはセクシュアリティに疑念を抱いていて、心地よく思っていない状態」というのは真理を突いていると思う。つまり「ホモ野郎のあいつと俺は違うんだ」といった同性愛嫌悪的なムーブを取る連中って自分のセクシュアリティや男性性に自信がない状態なんじゃないの?ということである。「他人にそれを見せつけなければ...」と常に考えている男性の態度を批判しているのだ。こう見るとラーズ・ウルリッヒという人はリベラルというか、かなり頭が良い人物な気がする。

まとめ

 メタリカをバンド単位でクィア・ライツを支持するLGBTQバンドと評するのは実際難しいかもしれない。当事者としてカムアウトしているわけではないし、クィア表現についてメンバー間のコンセンサスが取れているわけでもない(むしろ対立している)からだ。しかしカークとラーズのバイセクシュアルっぽいイメージは「はいはい冗談でしょ」と無視するにはもったいないほどパワーと新規性を秘めていると思う。Playboy誌のインタビューから窺える通り、彼らは同性間の親密さを表現する上で「ゲイって見られてしまうかも...」といった恐怖を持っていない。むしろ「そう見えるならそれで良いんじゃないの」と言いたげな、突き放した態度がそこにはある。それは「異性愛と同性愛」の境界が極限まで曖昧になった男性たちの姿だ。

 カークとラーズは「ゲイ・カップルを装ったこと」がどのくらい真面目な文脈によるものなのか、そこにどのような政治的意図を織り交ぜたのかはっきりと言うことはない。それがゲイ・バッシングに反対するための政治的行為なのか、単なるおふざけなのか、はたまた本当に彼らがバイセクシュアルなのか、その判断は見る側に委ねられてしまっている。私としては当時のアメリカの状況を鑑みるに、エンタメ業界最前線で「ゲイ・カップルになりきる」という行為はかなり挑戦的だし、「ゲイと名指されることを恐れず同性間でスキンシップを取り合う」演出は細かくタブーが設定されがちな「男の友情表現」を再考させるものだと思っている (詳しくは「ホモソーシャル」概念を取り上げている記事を参照してほしい)。そういう意味で私はメタリカを「クィアなバンド」と捉えている。「メタリカは実は単なる”ヘテロでマッチョなバンド”ではないかもしれない」という結論で終わるこの駄文を見て、読んでくれた皆さんが色々と考えるきっかけになれば幸いである。



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