希死念慮の擬人化

前にTwitterで誰かの「希死念慮を擬人化して上手く付き合おう!」といったような文と共に希死念慮を擬人化したイラストが載せられたツイートが流れてきた。
たしかに、急に襲ってきては自分をぐちゃぐちゃにしてくる存在を擬人化して可愛い女の子にしたら上手く付き合えるかもしれない。黒髪ロングの巨乳の母性溢れるお姉さんとかどうだろう。欲にまみれ過ぎである。
自分の中で存在を確定してもどうせその時その時の感情でその形はあやふやで不確かなものになってしまうだろう。

では、実際存在しているキャラクターで私が希死念慮の擬人化として感じている人物について紹介していこうと思う。

「INTERNET YAMERO」で知っている方も多いのではないだろうか。
「NEEDY GIRL OVERDOSE」。通称二ディガ。
主人公のあめちゃんを自分自身が「ぴ」となってあめちゃんを育て、最強配信者(インターネットエンジェル)にするというゲームだ。あめちゃんのストレス度や好感度、やみ度を管理してフォロワーを増やしていく。

私はあめちゃんこそが自分の中にある希死念慮の擬人化だと思っている。

普通に見た目が好みであるというのもあるが、彼女の言葉が自分に強く刺さるのだ。死にたいと思いながらも承認欲求を満たして生きたいと思う。私の場合は承認欲求がそこまでないのでそこの気持ちはあまりわからないが、その他の部分に似たものを感じるので尚更刺さるのである。独占欲が強い依存体質なのも一緒なのでメンヘラ発言もかなり共感してしまう。
ゲーム内の言葉たちは勿論だが、こちらのコミカライズの言葉も全て好きである。

ブラックジョーク混じりの言葉が好きなのかもしれない。煉炭は1つで十分だよ。
言葉以外に、彼女の腕にある美しい傷痕たちやおくすりのんではいしんしようの精神がすごく好きなのだ。自分がしてきたことが肯定されているような気分になれる。実際は肯定されていいことでは無いのだろうがいいじゃないか、彼女は私の希死念慮の擬人化だ。肯定して貰えないと困ってしまう。

そもそもで私が二ディガをプレイするきっかけになったのは、「INTERNET OVERDOSE」だ。
lainやさよ教が好きな人間だったので「断片的なカウンセリング」「夕暮れ時の屋上でさよならの練習をして」それらの様々な作品を表した言葉たちに心惹かれ、何故令和にこんなものを…と思いながらも興味が湧き、ゲームを購入したのだ。あめちゃんの本名が雨と書いて"れいん"と読むのも素晴らしい。

serial experiments lainは1998年の作品であるが今も尚高い人気を誇っている。あの時代にインターネット社会について描かれる不思議感、逆に当時だからこそ描けたインターネットを恐怖感、それらを含めて全てが愛おしい。
岩倉玲音という少女がlainにおいての主人公であるのだが、ゲーム版とアニメ版どちらも同じ岩倉玲音という人物であるが中身は全く違う。ゲーム版の方が思想が強く、「記憶は記録として置き換えられる。そうすればインターネットで永遠に生きられる」というようなものだ。ゲーム版のネタバレになるが最終的に玲音は自殺する。実験を成功させるために。詳しく知りたい方はこちらの動画をご覧下さい。

アニメ版は是非見て欲しいのだがあまりにも難解すぎるためここに一応解説動画をここに。

では、その岩倉玲音という少女は希死念慮の擬人化ではないのか?という話になります。
二ディガを始めるきっかけにもなったのだから彼女も希死念慮の擬人化なのでは?とも考えられるかもしれない。
しかし、彼女は希死念慮の擬人化というよりは"我々の中に偏在している神様みたいなもの"なのだ。
何も知らない人からしたら何言ってるんだこいつは頭がおかしいのか、とでも思われそうだが実際lainの内容を知ってる人たちからしたらそうなのである。だから彼女は希死念慮の擬人化とはならない。どちらかというといつでも心の中に存在している拠り所みたいな存在である。
それに彼女は希死念慮と戦っていたという訳では無いのでそこもまた違うのだ。

それらを全て含めた結果、私にとっての希死念慮の擬人化とはあめちゃんになるのだ。

希死念慮の擬人化として心にあめちゃんを宿すことで何かラクになるのかと言われたらかなり怪しいとこだが、ただ少しだけ許された気持ちになるのです。
それだけで十分。今日もまた苦しみながらも生きるために。
もし読んでくださった方がいたらありがとうございます。こんなつまらない文に時間を使わせてしまったことを申し訳なく思います。どうかあなたに最上級の幸せが訪れますように。

またTwitterに吐き出すには長すぎることがあったらここを使おうと思います。(・ω・)ノシ


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