深夜1時に目覚めたので、最近よく見る夢について書いてみる。

最近よく夢を見る。学生時代の夢。
高校の体育館だ。部活で使っていた。
たまに大学の友人や会社の同僚も出てくる。
実際に運動を始める前に目を覚まして、起きた後にカオスさに気づく。

夢を見るたび高校時代を深く思い出す。忘れてた何気ない瞬間もこみ上げてくる。

自分にとって高校はマイナスな感情がたくさん生まれた時期でもある。
クラスに馴染めず、毎日が不安だった。
部活は好きだったのでそこが居場所だった。

イジメられたとかではなく、空気感とノリが合わなかった。当時の自分は内気で会話を切り出せなかった。

何を話して良いのか分からず、毎日うまく話せないことに悩んでいた。苦手な人と話すことから逃げていたのかもしれない。

一緒にご飯を食べても上手く会話に入れない。
今日も黙っているだけ。
何を発言したら良い反応をされるのか伺って、ノウナイシュミレーションして動けずに終わる。
イベントや全校集会なども苦痛だった。
クラスで列を作るたび孤独な痛みを感じてた。
仮病で休むことが増えた。

毎年のようにクラスLINEで同窓会の話があがる。
今参加したら大人だから普通に話せるはずだ。
大学時代にコミュニケーション能力は培ったし、多様な人、初対面の人と話す経験も技術も育てた。

こんな記憶を思い出してみると、この話を就活のときすれば良かったなとか思うがそれは社会人になったから思えることだ。
大学生の瞬間は高校の時にコミュ障で友人いませんでしたと話すアイデアなかった。
何が採用する側にウケるのか、社会人として働く経験で必要な要素を知った今だから語れることである。

もしかしたら、さらに歳を取った時にも同じ循環が起きるのかもしれない。
若い頃はこんなことで悩んでたな。などと達観モードで22歳や25歳の夢を見るのだろうか。

もしくは、その時も高校時代の夢を見るのか。
それはそれで高校時代の挫折は原体験の一つなのだろう。自分の暗黒面(本質)と対峙していた日々だ。

今は暗黒面と上手くやりくりしながら生きている。

先日「器用になると小さくまとまるよ」と言われてハッとした事もある。
人の反応を気にして殻を破れないし、なんとなく上手くこなすからマイナス感情も生まれなくて大きくなろうとする動機も生まれない。

失敗を恐れすぎる性質はある。
それは高校時代から変わらない。慎重に内側で反芻してから発言する。
言葉放った後も大丈夫だったか気にしてモヤモヤする。イマイチだったと後悔し始めると止まらない。

リモートワーク時代にはコミュニケーションは対面が減り、一言の重みは増し、何気ない一言が関係性を支えていく。
なんであのように言ってしまったのかと後悔する量も増えてきている。

見えないストレスの一種でジワジワと効いてくる。そんなストレスが高校時代の夢を見せてくるのかもしれない。

書いていたら気持ちも落ち着いてきた。
もう一度寝ます。また過去の夢を見るために。

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