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ままならないから私とあなた



*ネタばれ含む

ちょうど1年前くらいに読んだ、朝井リョウさんの本。
主人公目線で読み進めていると、最後に「会話相手」が主人公目線の「わたし」という存在に言葉を突き刺してくる感じが、とっても朝井リョウさんの小説らしい、鈍い痛みが心に残る小説。
「死にがいを求めて生きているの」、「何者」のように、いまこの瞬間の若者の考えがストーリーに映し出されているなあ、って、一若者として思う。

この本、2人のメインの登場人物がいて、2人の性格や価値観の「違い」がよく見える描かれ方がされている。
だけども、2人はすごくお互いを思い合っていて、親友、という不思議な関係性。
主人公は、白黒つけられない微妙なところを愛しく思ったり、論理性や計画性からはみ出たところに人生の面白さがあるよね、と思ったりするタイプ。
対して親友は、合理性・効率性をとにかく求め、着実に目標のために努力して成長していく、自分の人生とかをしっかりとコントロールしていきたいタイプ。

最後には2人、すごく壮大な喧嘩をする。2人は特に和解もしない。
そして、その後2人がどうなったかは、書かれていない。
けど、その2人の子どもたちの未来の描かれ方から、
人に違いがあるのは当たり前で、どちらかを淘汰したり論破したりじゃない、この社会って価値観の違う小さな世界がひとつひとつとあるんだ。ということを受け止めて、生きていったら楽だよね。ままならないからこそ、私が私であって、あなたがあなたである。ままならないから皆別々の人間でいられる。
といったような、そんなメッセージを私は勝手に感じている。
(受け取り手によってメッセージはかなり変わりそうな小説)



さてはて、いま、なんでこの本を思い出したかというと、
いまの自分の心の中の状況が、この2人が最後に喧嘩している場面みたいになっている気がしたから。客観的に自分のこころを捉えた時、「ままならないから私とあなた」状態だって、思った。
プロセスが大切だ、無駄とか非効率を飛び越えたところにある何かが大切だ、人間の温かみが大切とかを言う一人の私。
結果を出せなかったら意味がない、とか、自分の心が潰れてしまうかもなんて潰れる前に言っていたら、それって努力しない自分を正当化したいために言っているんじゃないの?とかを言う私。
心の中でお互いがお互いを傷つけあっていて、すごく消耗するなあって感じている。
自分の中の小さな世界をどう共存させていくのか、または新しい価値観でまるっとアップデートしていくのか、しばらくは葛藤しそうだなあ。と。
でも、この葛藤をこうして客観的に見るきっかけをもらえたからこそ、心の状態に引っ張られすぎずに、健全に葛藤できている感じがある。
でも葛藤フェチで終わりたくないからな、この葛藤感をディグしてくれる人募集しよう。
そして、この本を読んだ人と、おしゃべりがしたいなあ