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やさしいルール


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弱さ【vulnerability】を見せるということ。

素直であること。【to be honest】

かっこつけずにわからないものはわからないと聞くこと。(どんな疑問も本当に理解することを助ける)
【no stupid question】

それが対話するのに、人を愛するのに、人を信頼【trust】するのに、大切である。

そのためには、間違いや失敗を見下さないこと、大事さに気付くこと、失敗を祝えることが、必要であり大事。
【make mistakes】

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【鉤括弧】で括った言葉たちは、私の選択科目の授業のルール。他の言葉は私の解釈。


飾らない自分で、嘘のない自分でコミュニケーションをしているとき、こんなにストレスがないのだと知った。
間違ってもいいし、それは祝えることだし、人は皆弱いところを持ってるのだから弱さなんて当たり前だし、というかだからこそ人間らしくて愛しい訳だし、そもそもあほな質問なんてない。と思うとさ、飾る必要がなくなった。

効率性からはみ出た部分に、人としての愛しさがあることを知った。

自分は素直で正直だと思っていたけど、時にロジカルであるために、時に自分は価値ある存在だと飾るために、言葉を型どったり誇張したり矮小したりしていたことに気がつく。だから、その詰め合わせだった1ヶ月ちょっとは何だかしんどかったんだと思う。(だから誇張せずとも自分に潜在的に価値があると信じられることは、人と本質的なこコミュニケーションをとるためにすごく大事な気がした。)

自然体な人が魅力的に感じたのは、自分を飾らない分、人に寄り添うパワーへと使えるからなのかな。そこに一歩でも半歩でも近づきたいな。



人の弱さに触れたとき、その弱さは正直であって、その人の人間らしさを感じて愛しく思うんだ。そこから愛がうまれることもあるんだと思う。
昨日ライフストーリーを話していたときに、沢山のデンマーク人が話しながら泣き始めた。こういうネガティブな話、過去のきつかった話をすることが今まで全然なかったって。例えそれが家族であっても。デンマーク人はなかなか弱さを見せないんだよって。
【私たちはハッピーな国の住民だからね】って冗談で言われたとき、ああ、一括りに語っちゃ絶対駄目だって感じた。もしかしたら、皆幸せであろうと、強がっているのかもしれない、とも思わされた。
ただ、だからなのか、弱さを見せることに対するリスペクト、弱さをシェアすることに対しての感謝があるとも感じる。

“弱さをみせてくれてありがとう。シェアしてくれてありがとう。”
弱さを伝えられたとき、いつも必死にアドバイスを探してしまうけど、その前に、感謝したいなとリスペクトしたいなと思わされる。


この間、全校生徒の前でこの授業に関するプレゼンをしたとき、不覚にも泣いてしまった。私は間違いをおかすことが怖くて仕方ないんだ、この時間のなかで完璧なプレゼンを作れるわけがないとわかっていて、それでもシェアしないより良いと思えたから、怖いけどメイクミステイクしに、ここで今喋っているんだ。私はいま変わりつつあるんだ。そんな話をしてたら緊張もあって手が震えて泣けてきてしまった。
ここには世界一の聴衆がいると言ってくれた先生と、メイクミステイクしてもそれを本当に受け入れてくれると信じられた人がいたこと、それが踏み出す勇気になった、気がしている。

そしたらその後ね、本当に長くて強い拍手を貰ったの。全部のプレゼンが終わった後、たくさんの人が私のところに来てくれて、強くハグしてくれた。その中には一緒に泣いてくれた人もたくさんいた。もしかしたら冷めた目で私を見ていた人もいたかもしれない、けど、それが気にならないくらいの愛を貰った。you are so cool. im so touched. i got a courage. I really love your presentation.そんな言葉たちもあれば、何も言わずに抱き締めてくれた人もいた。
honestであることがmistake を恐れないことが、大切ということに強く共感しているという風に伝えてくれた人もいた。終わってしばらくたってからも食堂でキッチンデューティーしてたのにわざわざ来て抱き締めてくれた人もいた。泣いてしまってほんとに恥ずかしいと言うと、どこにも恥ずかしく思うところはない、私は好きだ。素晴らしかったと言ってくれる人がたくさんいた。

ああ、わたしこの学校好きだなって思えた。人間でよかったとも思えた。人に弱さを見せてしまった分、その後素直に人に接しられた。

弱さを売るべきではないし、人に弱さを見せることを強要するべきでないと思うけど、ここからうまれる愛を私は祝いたいと思った。