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町、時、人

 CLANNADという作品がある。私はアニメ版しか見たことがない。人生とも評されるこの作品は、京都アニメーションの代表作でもあり、確かに日本アニメの中である種最高傑作かもしれない。それだけいい作品だった。

CLANNADの何がいいかといえば、私は優しく生きることを思い出させてくれることがあると思う。key作品のいくつかに言えることだが、ヒロインが儚げである。渚も体が弱く学校にもなかなかいけない。

私が心に響いたのは、彼女が学校に一年留年してクラスに友達ができなかったことだ。渚はとてもいい子だ。引っ込み思案なだけだ。それだけなのに友達ができず、彼女は傷つく。

そういう子は、学校に多いと思う。渚の場合は朋也たちが救済の共同体として彼女を支えてくれた。しかし現実には孤独を感じる子が多くいる。家庭に居場所がない、学校にも友達がいない、先生もあてにならない、保健室も機能しない、地域で頼れる人もいない、そんな子たちが行ける場所はネットしかない。

クラスに孤立している子がいたら、その子は本当はみんなと仲良くしたいけど話しかけられないだけかもしれない。少し想像力を働かせればそれがわかる。少しの優しさと、少しの勇気と、少しの思いやりでその子は救われる。

こどもの社会はとても難しい。カーストがあったり、いじめが発生したり。こどもの場合は自立していないため、自分で動ける範囲や手段が少ない。優しい社会になってほしい。

朋也が望んだことは一つだった。渚たちと幸せに暮らしたい。それだけだったのに、それは叶わなかった。CLANNADで描かれる家族はとても温かい。私の育った家庭はいいものではなかった。だから朋也たちがとても愛おしく感じられた。

町に意思があるという設定もすごく好きだ。神社にいる神というのは祈りの集合体ともいわれる。それに近いのかもしれない。町にとっても幸せを考えるきっかけにもなった。町の幸せとは結局、その町で生きる人々の幸せの総数に比例すると思う。何をもって幸せとするのかは難しいが、自然とともにある精神的な豊かさというのを一つの回答にしておく。

夢とは永遠の一瞬。とても美しく、人を満たしてくれる。key作品のいくつかはある種、夢の中で生きている姿を描いているのではないか。そんなことも思った。

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