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授業でなぜ小論文に取り組むのか

Google for Education認定トレーナー/コーチの笠原です。

3学期の論理国語の授業は小論文に取り組んでいます。

小論文の指導は正直、一人の担当者に対して生徒の数を考えると、結構な重労働です。

今回の単元では学習材をすべて音声とプリントにして、自分たちで進める一種の自由進度学習で実践を行うことで、授業時間内に色々な生徒の進捗を見るようにしています。

生成AIを活用すれば、生徒に対して個別指導がもっと効率よく行える気もしますが、一方で、かなりの高コストだとしても授業担当者が汗をかかないと難しいこともあるだろうと感じています。

上手に書かせたい訳ではない

小論文の指導はどうしても入試が絡んでくるので、入試の小論文の勘所を押さえたものにしつつ、また、生徒たちが進学先で困ることがないような、いわゆるアカデミックライティングの要素を教えることには気を配っています。

ただ、一方で高校2年生のこの時期で、あまり四角四面に細かいところまで突き詰めて書かせようという気持ちもあまりありません。

生徒からは細かく添削を求められるのですが、じっくりと添削をして良い文章に仕上げさせたいという狙いもあまりないのです。

もちろん、ある程度の水準は書けるように担保しつつも、そうやって大人の添削で窮屈になることは望んでいないのです。

意地悪なことを言えば、ちょっと日本語が上手くない文章であっても、ChatGPTなどの生成AIに分かりやすく直してと推敲させれば、平均的な高校生よりも相当にレベルの高い出力が返ってくる訳ですが……それに対して国語の小論文の授業としてはあまり意味を感じません。

書くことの過程と格闘する

今回の単元のテーマは、結構、難しい話です。

ただ、日常に潜んでいるのだけど、問題意識の目で見れば見えてくるものを対象としています。

だからこそ、そういう見ようとしないと見えないことを、「書く」というプロセスと悪戦苦闘するなかで見つけて欲しいという願いがあります。

生成AIにテーマを投げて出力させれば、それっぽい作文は出てきます。ただ、結局、具体性に欠けるし、授業で見ているそれぞれの生徒の人となりとは無関係なことが放り込まれるので、授業者が読めば違和感しかないわけです。

上手く書けなくて良いのです。

その生徒自身が書く過程の中で、見えなかったものに気付いた時の心の揺れや、言葉にならないものを言葉にしていく苦労の中で気付くことを、そして、何よりも自分がどういうことに関心があるのかを知るきっかけになればよいわけです。

授業者に「これでいいですか?」と問わなければ、自信を持てないような、そういう書き手にはしないようにしたいと願うのです。

今回の単元名は「自分の意見を発見するための「書く」」です。

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