がんになって失うもの、得るものについての個人的見解:引きこもりの場合

2023/08/10

往々にしてがんになると、それまで手にしていた何かを失うことになる。それは例えば仕事であったり、人間関係であったり、好きなことをする自由であったり、とにかく昨日までの健康だった自分は完膚なきまでに失われるわけだ。
そして多くの、あるいは殆どのがん患者はその失われたもの、失われた日常、失われた人生を取り戻すために懸命に治療にあたるのだと思う。

私の場合はどうか?まず、私の場合他のがん患者の方とは前提となる事情が違う。
何が違うか。それは私が引きこもりだということ。

引きこもりってインドア派とかそんな生易しいのじゃなくてガチのやつ。なんかの定義では確か半年以上家族以外と話さなくて仕事にも学校にも行かず家にいる状態とかそんなんだったか。まあとにかくそれである。その引きこもりが私。

テレビや新聞やマンガみたいなメディアでやたら目につくのは、乱雑にゴミ袋が置かれた汚く薄暗い部屋で1人パソコンかゲーム画面に向かう肥満気味の若い男性、そういう所謂キモオタ系の人間ってイメージ。で、その彼は母親をババアと呼び専制的に振舞い、母親は涙しつつそんな息子の言いなりになるだけ。こういうのがメディアの作る典型的な引きこもり像だと思う。

でもさ、引きこもりって引きこもってて誰とも会わないんだから上記のような人物像の妥当性を検証しようがないだろ。現にまず私は男性じゃないし、肥満体でもないし、パソコン使えるけど匿名掲示板に書き込んだこと一回もないし。全然違うし。そしてその上今はがん患者。引きこもってたらがんになったとかいう、まあまあ珍しい属性の持ち主ではある。私のような人を平均的な日本人とはあまり言えないだろうと思う。

まあとにかく私はそんな風だったので、他の人が人生で手にするもの、仕事や友達や恋人や家族みたいなのとは全く縁がない。つまり、他のがん患者の人の多くが失うものを私は初めから持っていないということだ。取り戻すべき日常も。

引きこもり生活にも色々あると思うけれど、私のそれはとても空虚だった。親に養われて楽しやがってみたいなことを引きこもりに思う人もいるみたいだけれど、そういう羨望を向けられる筋合いは私にはない。そういう人は自分が働きたくないからそう思うだけ。人にいじめられて、家族にいじめられて、辛い気持ちになってもどうすることもできず誰からも助けてももらえず身動き取れなくなって自室以外にいられなくなるの、羨ましい?

勿論引きこもってて幸せという人、自分で引きこもりという状況をコントロールして暮らしている人も世の中にはいるだろうけど、私は心を傷付けられ損なわれ、人生を失っていた。読書とかゲームでかろうじて自分を保ちながら、何も変わらないキツい毎日を生きていた。

そこへがんの告知である。無念。そりゃそうだよ。人生で意味のあるもの、価値のあるもの、何も手にしていないもん。それなのに人生お前終わりだよってあんまりだ。わたしはこれまでなのか。告知されてそう思った。それと同時に、それまで負った大小様々な心の傷が芋づる式にずるずると引き摺り出された。

告知をしたのはキリスト先生ではなかったけど、もし彼が告知をしていたらそんな風にはならなかったんじゃないかと思う。傷つくやり方をしない人だから。私に告知をした医者が殊更酷かったということはないだろうけど、彼女が配慮していたかと言えば微妙な所だ。間延びした口調で「腺がん」と彼女は言った。そして、大学病院で治療頑張ってねー、と私を送り出した。やっぱり書いててこの先生が配慮充分だったとは思えないな。キリスト先生がよかった。

まあとにかくそんな感じで、私のがん告知は「頭が真っ白」でも「まさかそんなはずが」でもなく、それは「傷付いた!」というものだった。心は千々に乱れ自分というものが破れたガラスのようにバラバラになりそうに思えた。すごくすごく傷付いた気持ちになっていた。だからもう二度と傷付きたくなかった。幸い主治医がキリスト先生だったおかげで傷付くことを恐れる必要は無くなったわけだけど、それでも手術とかは滅茶苦茶不安だった。

私の受けた手術で私は具体的に子宮と卵巣と卵管を失った。手術するか否かの選択肢は提示されず、また手術の日取りも病院側の一存で決まった。そのくらい急を要する、手術しないって道はあり得ない感じの状態だったわけだ。卵巣が失われることで更年期障害の症状が出るとか、必要ならリンパ取るけどその場合浮腫むとか、そういうのは心配だったけど子宮がなくなるそして子供産めなくなることは特に悲しくなかった。それは最初から私の人生のオプションではなかったから。

で、手術のため入院して、案に相違して看護師さんたちが良くしてくれて退院してからすぐまた入院してストーマ造って、最初の入院でムカついてたメガネ先生を見直したりハセガワさんという素晴らしい人に出会ったり、他の皆さんにもとてもよくしてもらった話は別の記事で書いたと思う。その入院において私は本来の自分を取り戻したような気分になった。

私はとても傷付いていた。いじめを受け、親の暴言や過保護過干渉、妹は無関心でヘラヘラ遊んでるだけ、親戚にも除け者にされてるし、医者やカウンセラーのところに行ってもハラスメント、学生時代の教師も無関心か暴力的か、というか大体の人間が無関心か暴力的、幼い頃の恐怖や不安を贖われず持ち越し、傷付けど救いはなく、人を信じなくなった。

だけど入院で信じられる助けてくれる人たちに出会った沢山。そして今の私はもう人間不信じゃないし、外へ出られる。行きたい所にも一人で行く。知らない人と話すのはやっぱり得意じゃないし、ひとりぼっちの孤独は感じるけれど、もう人を恐れてはいない。皆思ったよりずっと仲間だと感じる。

私はかつての人生を捨てた。がんになる以前の人生を。それは悪しきものだった。私は橋を渡り二度と戻らないその橋を焼いて進んだ。その先に私の求めるものがあるから。

つまり私は失っていない。失ったとしてもそれは取り戻す価値のあるものではない。そして私が何かを得たのはむしろがんとなった後だ。キリスト先生に会えた。ハセガワさんに会えた。メガネ先生、外科の先生、内分泌科の先生は前から会ってたけど思いのほか彼女が良い医師であることを知った。良い人に沢山会ったり病棟には色んな患者さんがいたけど、意地悪をされなかった。むしろ優しくされた。私もまたそこにいる患者という総体の一部だった。そして何かの一部であるというのはそこに属する他者が仲間になるということだ。私は初めて人を信じ、人の仲間になったのだ。

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