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2年

こんにちは。
今日は練習日誌ではなく、
プライベートなお話を。

2年前、
2021年の今日。
一緒に暮らしていた祖母が亡くなりました。

連絡を受けて、
病院に行った時にはもう…。


正直、
祖母との仲は良いものではありませんでした。

一緒に過ごす時間が長かった分、
イライラすることが本当に多くて、
特に耳の聞こえが悪くなってからは
言ってることが伝わらないことも増えて、
余計にイライラ…。

いつまでも私のことは子どもと思ってたようなので、
私が指摘すると
嫌な感じで返してきたりもして、
どんどん私的には
イライラが溜まっていく一方でした。

小さい頃から一緒に暮らしていて、
仕事に出る母に代わって
ご飯を用意してくれたり、
そのほかにもいろんな家事をしてくれたりと
お世話になったことはたくさんありました。

徐々にできないことが増えて、
ある病気をきっかけに、
それまで祖母がやってきた家事は全て
母と私でやるようになりました。
(私はサポートみたいなもんですが…)


感謝はしています。

イライラを感じつつも、
子どもの頃してもらったことに
感謝は感じていました。

それでも、
イライラはおさまりませんでした。

同じように家族の介護をされている方と
交流する機会があった際に、
みなさんご自身の
おじいちゃん、おばあちゃん、両親のことを
とても大切にされている、
大好きだという雰囲気を感じて、
私の感情は間違っている、
人として最低なんじゃないかと
何度も思いました。

イライラする、
家族のことなのにイライラするなんて間違っている、
そんな思いが行ったり来たりして
ぐちゃぐちゃになって、
感情が暴走して外に出ることも多々ありました。

そのときは母にも当たりまくって、
とてつもない迷惑をかけました。
(今も迷惑かけ続けてますが…)


祖母本人に向かって心無い言葉を
実際にぶつけたこともあります。


本人は最後どこまで私が
イライラして、
そんな言葉をぶつけて
ってしてたのを覚えてたかはわかりません。
全く忘れて旅立ったかもしれません。

亡くなるまでの10年弱ぐらいは特に、
私のことが嫌いだったかもしれません。


そう思われてても仕方ない態度でいました。


憎しみを抱えたまま…だったかもしれません。

わかりません。


でもここ1年ぐらいですかね。
やたらと夢に出てきます。

状況はいろいろです。

亡くなる少し前のように
介護が必要な状態だったり、
まぁまぁ元気だったり。

まぁ一緒に住んでたとはいえ、
若い頃のことは写真でしか見たことがないので
常におばぁちゃんの姿ではあるのですが。


何か言いたいことがあるのか、
心配でもしてくれているのか、
母と仲良くしろよ、
助けてあげやと言っているのか…。


たくさんのイライラがあっても、
やっぱりふと
もういないことに
なんとなく寂しさのようなものを感じます。


いろいろ言えど、
やっぱり家族だったんだな、と。


夏が苦手な私にとっては、
秋は待ち遠しい季節です。

でも秋は祖母とそして祖父も
旅立った季節です。

だから
なんとなく
心に穴が空いたような、
スカスカした感じがします。


たくさんのイライラがありながらも、
私は祖母の作るご飯が好きでした。

ほんのたまーに
何これ?みたいな
冒険をされることもありましたが、
でもほとんどは好きでした。

だから、
病気でご飯を作れなくなって
祖母のご飯を食べられなくなったのは、
日々のイライラがありながらも、
寂しさを感じていた部分でした。

もう一度、とは思っても、
今更な話です。

もっともっと、
感謝を伝えるべきだったんだと思います。


結局は後悔が付きまとうものなんですね。


たいして褒めてくれることもありませんでしたが、
最後に私を褒めてくれたのは、
数年前に私が外で演奏をしたのを
聴きにきたときでした。

涙ぐみながら「良かった」と言ってくれた時の顔は
忘れられません。

来月のティータイムコンサートも
ちゃんと観てくれてる?と思います。
たぶん。


少々長くなってしまいました。


亡くなって2年。
三回忌です。


ちょっと思うがままに、
書いてみました。


読んでいただいてありがとうございます。

それではまた明日の練習日誌で。


Heippa!


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