初めての渋谷らくご

落語と再び出会って、渋谷らくごに妻と伺ったのは2016年の秋のことでした。お目当ては春風亭昇々さん(この春からは師匠ですね)、『渋谷らくごのポッドキャスト「まくら」』でサンユータツオさんがプッシュしていたので、ぜひ生で見なくてはと妻と伺いました。

近所なことと、大好きな串揚げ屋の「串音」や、鉄板焼の「天」があることもあり、ユーロライブの前を通ったことはあったのですが、落語をやっていることはポッドキャストを聴くまで知りませんでした。

インターネットでチケット予約をして、会場前にワクワクしながら列にならぶと、購入番号順に呼び出しがかかり順次座席へ、座席予約制ではないのでここでお気に入りの場所を確保します。前すぎるとプレッシャーを感じるので、4〜5列目の下手側がお気に入りです。座席はさすが映画館といった他の寄席やホールには見られないゆったりとした作りで、気持ちよく聴くことができます。(寝てしまいそうになることもありますが)

この日は、鯉斗さんが出る予定でしたが、代演でおさん師匠が登場。妻はリアル「タイガー&ドラゴン」と話題のイケメン(そういえば、今や鯉斗師匠も真打ちになり、すっかりテレビの人ですね。)を楽しみにしていたのですが、おさん師匠のキャラクターと芸を気に入ってしまいました。演目は「狸の鯉」奇妙なおじさん(褒めてます)の演じる可愛い狸、また聴きたいです。続いてわさびさんの「だくだく」、昇々さんの「壷算」と続きます。当時10年遅れでSWAにはまっっていた自分としては、新作を期待していましたが、若手お二人の身体性にただ引き込まれました。やはり音で聴くのと、生で観るのは大違いで、座布団の上に一人で座って語るというフォーマットの意味が生意気ながら少しわかった気がします。

トリは春蝶師匠、関西らしい形の良い落語家さんが出てきたと思ったのですが、語られるマクラに引き込まれました。というのも、そこで語られたのはお父様の先代春蝶師匠と枝雀師匠の思い出、枝雀師匠は子どもの頃に落語にハマるきっかけをくれた人でした。枝雀師匠と中の良かった先代春蝶師匠は、てっちりを準備して枝雀師匠をもてなします、枝雀師匠は春蝶少年に「最近興味を持っていることは?」と聴き、春蝶少年は「本能寺の変を習ったんやけど、誰も見てへんのになんで本当にそんなことがあったと言えるのかわからへん」と答えます。すると、枝雀師匠はボロボロと涙をこぼしながら、「君は同じ星からきたんだね、同じことで悩んでるんだね」と鍋に手もつけず帰っていったそうです。その話を先代にすると「な?あいつオカシイやろ?でもオカシイことが解る俺もオカシイんや。こういう人間は長生きでけへん。お父ちゃんもそうやから今のうちなるべく一緒に遊ぼうな」そして4、5年後に先代は亡くなり、また枝雀師匠も5年を空けて亡くなってしまいます。師匠の話をどう受け取るかは、個々の聞き手次第だと思うのですが枝雀師匠の繊細さと優しさを感じるエピソードで、その後何度も春蝶師匠がこのマクラを語っているのを聴くのですが、その度に胸にこみ上げるものがあります。

春蝶師匠のネタは「たちきり」これ以上のはまり役はないだろうというぐらいの、若旦那そして芸者の小糸、目玉がとれるぐらい涙が出てしまいました。その後いろいろな演者さんの「たちきり(たちぎれ)」を聴いてきましたが、あの時の「たちきり」は最高でした。オチは噺の雰囲気と合わせて解釈があると思いますが、私には春蝶師匠の演じる小糸からのまた来てねのメッセージだったように思われました。

まさか、人情噺で泣きながら円山町に放り出されるとは思っていなかったのですが、良いデトックスで、良い思い出です。その後は、串音の店長から目の赤い二人を心配されながらの感想戦となりました。

ここから毎月のように渋谷らくごに通い、CDを借りあさり、どっぷりと落語・講談・浪曲にはまっていくのですが、お時間ここまで。



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