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『現代短歌の鑑賞101』を読む 第一六回 宮英子

宮英子はこの記事の第八回で鑑賞した宮柊二の妻であり歌人だそうである。
宮柊二が一九八六年没、宮英子が二〇一五年没であるから、没年には三十年近くのズレがある。そのためか、三十首のうち半分行かないうちに夫の死の短歌が登場する。

私が読むところでは、宮柊二との関係において述べられるだけの歌人ではなく、宮英子自身の短歌にも傑作がある。まあ、『現代短歌の鑑賞101』に選ばれているのだから当然ともいえるが、だれそれの妻という見方にとどめたくない。

寒ければ新聞を折りて脊に入れぬ立ちあがるとき紙は騒ぐも

『婦負野』

寒いので新聞紙を追って背に入れたら、立ちあがるとき紙が音を立てる。背中にある新聞紙の感触が伝わってくるようだ。

指にくみぎはの水は夏さむく指のしがらみ越えゆくものを

『ゑそらごと』

指で水をせき止めたら、水は指のしがらみを越えてゆく。私は忘れていて調べて思い出したのだが、しがらみという言葉はもともと水をせき止める柵のことである。

いずれの短歌も体の感覚が想像できるのが特徴だ。身体感覚がある短歌の佳作と思う。みずからの身体感覚を保ちつつ夫のことを詠んだ次の短歌も印象に残った。

亡き夫の知らざるよはひをわが生きてユーフラテスの岸にかがめり

『天蒼々』

参考:
『現代短歌の鑑賞101』小高賢・編著

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