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『現代短歌の鑑賞101』を読む 第八回 宮柊二

宮柊二の名前はよく聞く。社会詠について調べていた時に、戦場の現場を詠んだ短歌、戦場詠の書き手として挙げられていたのが印象深い。

ひきよせて寄り添ふごとくししかば声も立てなくくづをれて伏す

『山西省』

兵が敵兵を刺し殺した状況を詠んでいるのであるが、相手を殺す際に「寄り添ふごとく」刺すというのが、「寄り添う」という言葉に優しさがあるがゆえに残酷である。

今回『現代短歌の鑑賞101』において印象深かったのは次のような作品だった。

おもねりをいふ子きらひと言ひさしてふと見ればこぼるるばかりのなみだ

『晩夏』

子供は、好かれたくて大人におもねるような言葉も言うものである。それが見え透いていたのだろう。おもねりを言う子は嫌いと言った。そのとき子供の目にはこぼれるほどの涙が浮かんでいる。

言い過ぎたとも思ったのであろう。しかしこの短歌、嗜虐的な感じもする。おもねりをそのまま受け入れていれば美しい涙は見られなかったわけである。嫌いと言ったことによって引き出された可愛さである。

あきらめてみづからなせど下心したふかく俸給取ほうきふとりさげすまむとす

『多く夜の歌』

短歌の前半部は自分には読み切れておらず、宮柊二の生活を知れば読み取れるかも知れない。「自分もあきらめてやっているが」のような意味であろうかと推測する。俸給取はサラリーマンに近い意味であろうか。

心の深い部分で、給料をもらって仕事をする人間を蔑む。いや、蔑もうとする。「蔑もうとする」の部分に、何か屈折があって蔑みきれない様子が見て取れるように思った。

参考:
『現代短歌の鑑賞101』小高賢・編著

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