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35歳、ひとり、得一で呑む


・最高の大学生活(夜)


当時20歳そこそこで大学生の私は、ろくに学校にも行かず夜な夜なバンド活動に明け暮れていた。
缶ビールを煽りためにならない楽器を鳴らし、また缶ビールを煽り床に就くといったろくでもない生活。
バイト先もPTAが想像する様な模範的なライブハウス。
ろくでもない大人たちが夜な夜な現れ、刹那に生きている日常を目の当たりにしていた。
周囲の大学生がお洒落なカフェで女子とのデートを楽しんでいる間、平日の昼は絶対見かけないような髪型や恰好をした大人たちの相手。なんじゃこりゃ。
そんなバイト先にまともな人間がいるはずもなく、給料(手渡し)は遅れるのが当たり前、なぜか給料がない月もある。
そんな時は決まって店にあるビール以外の酒が飲み放題、という権利が与えらるのである。
現金収入はたまにべろんべろんになった客から貰えるチップのみだ。
しかし、そんな生活をしているのだから当然金がない。
たまにはどこかに飲みに行きたいが、当時は全品¥280均一であった鳥貴族でさえ文字通り貴族御用達の店であった。
十三で知り合いのライブを見た後、どっか飲めるとこないかな~、なんてライブハウスで買った高い缶ビールを啜りながら街を徘徊しているとき、初めてこの提灯を見つけたのだ。

・デビュー戦

得一 布施店

「得一」
大阪に住む立ち飲み愛好家ならば一度は訪れたことがあるだろう。
大阪を中心に店舗展開をするチェーン店である。
新店舗をオープンする際にはご縁(5円)セールと銘打ってドリンクが全品¥5になるなどクレイジーな企画があったりもする。
初めて訪れたのは「得一 十三店(現在閉店)」
その赤提灯に目を奪われ、その下に看板を見ると「ハイボール¥180」「ポテトサラダ¥150」と謳ってある。マジか、と20歳そこそこの関野青年は衝撃を受けたことを今でも覚えている。
中の様子を伺うとスーツ姿のサラリーマングループ、カウンターで一人で飲んでいる老人など様々だ。
でも、自分のような20歳そこそこの若造は皆無。
当時からすると店内にいる全員がちゃんとした「酒飲み」に見えたのだ。
そんな彼らに憧れ1000円札をポケットの中で握りしめ、意を決して飛び込んだのが立ち飲みのデビュー戦であった。

・あれから15年

あの時のドキドキはどこへやら。
今では勝手知ったる他人の家、メニューすら見ずにオーダーする始末。
ハイボール(¥200)も時を経て値上下の波が押し寄せている。

ハイボールの友人、厚揚げ(¥250)も忘れずに。
ポン酢か醤油が選べるが、卓上に醤油はあれどポン酢はないのでポン酢でオーダーでして途中で味変。

厚揚げでハイボールを片付けた後、レモンサワー(¥350)と赤ウインナー(¥300)を追加。
今となっては赤ウインナーもいい値段になってしまった。

別店舗だが、串にさして5本で¥100だったのは今は昔である。
しかし一匹タコウインナー星人が紛れ込んでおりホッコリ。
母が昔、よく弁当に入れてくれた。

なんて思い出は生憎ながら父子家庭なので持ち合わせておらず、脳内で捏造された悲しき架空の母の思い出である。

ウインナーには辛子だけをつけて食べ、ケチャップとキャベツを混ぜて追加で一品クリエイトする。
カレー塩がかかっているためスパイシーな味わいもあり思わずニッコリ。
しみじみと食べて飲んでごちそうさま。

・一端の酒飲み

大学時代は3~4人で立ち飲み屋に押しかけ、なんやかんや翌日には忘れている様な話で盛り上がった。
ダラダラと安い酒と安いアテで堂々と居座り続け、閉店まで店の奥を占拠する毎日。
「ずっとこんな日々が続けばいいな」と柔らかい願望と薄暗い不安を抱えながら過ごしていた20歳そこそこ。
しかしながら当たり前の様にそうとはいかず、月並みに就職して月並みに過ごしてきた。
あの時の友人に会う機会も少なく、中には連絡がつかなくなったヤツもいる。
それが今では「サッと飲んでサッと帰る」ことができる一端の酒飲みになっている。
もちろんあの頃に比べれば収入も増え少しは大人になったし、社会的な地位も違う。
一方で今は合理的だとか効率だとか無意識になんにでも「意味」を求めてしまっている。
あの店にいつもいた、訳のわからない大人たちはどうなったのだろうか。
今でも訳が分からないまま過ごせているのだろうか。
あの頃みたいにダラダラ飲んで「ずっとこんな日々が続けばいいな」と感じることもなくなった。
仲間と意味もなく飲んで、意味もなく翌日を迎える生活はどこかのタイミングで落としてきてしまった。
「いっぱしの酒飲み」になったわけではなく「サッと飲んでサッと帰る」しかなくなってしまったのだ。
砂のような思い出に浸り、自分を少し寂しく感じた秋の夜であった。

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