【不定期雑記 #33】JASRACに怒られた話!

 どうも、透々実生です。

 今回は「引用要件を守っていたはずなのにJASRACに怒られた」話をします。
 怒りたいのはこっちじゃ。

 ネットに無限に転がっている記事の焼き直しになるかもしれませんし、私自身法律の専門家ではない(が調べはしてます)ので、「そういうこともあるよ!」という共有や、今後のnoteでの記事の書き方の注意的な意味合いが強いです。
 お付き合い頂ける方は是非お付き合い下さい。

何が起きたか?

 まず始めから説明しますと、私は普段よく音楽を聴いていまして、その中で「これは良いぞ!」という音楽について布教目的で紹介する記事を書いています(ちなみに今も! そのうち最新版が上がると思います)。
 で、その記事の紹介は、以下の様な構成で書いていました。

曲名 / アーティスト名

動画の埋め込み(YouTubeかつ公式チャンネルが出しているもの)

歌詞

紹介文

 曲名やアーティスト名は当然必要ですし、曲である以上聴いてもらわないことには始まらないので、動画も埋め込んでいます。その下に、歌詞を10〜30文字程度(それより多い場合もありますがサビの部分くらいがせいぜいで、歌全部ではない)引用し、紹介文を載せていました。
 で、こんな記事を10以上書いていたのですが、ある日突然note公式経由で、「JASRACに怒られてるから対処して!」と、以下の様な文が届きました。流石にビビった。

こんなんが突然やってきます。この後に、どの記事の何がダメだったのかが淡々と表形式で書かれています。

 で、何がダメだったかと言うと、歌詞の部分でした。これを載せてはいけないらしいです。ちなみに、JASRACの言い分は以下の通り。

一部分の抜粋

 つまり、曲そのものとか歌詞とか、そういうものを勝手に複製したり(複製権の侵害)、公衆送信――有り体に言えばネットに載せたり(公衆送信権の侵害)しちゃダメだよ! と言われている訳です。
 JASRACやら権利云々やらについて知る良い機会なので、ここいらで少し勉強がてら、素人なりに纏めてみましょう。
 しかし誤解なきよう先に言っておくと、私は著作権法における引用要件を知り、かつ一部歌詞引用を行っている実例を複数確認した上で行ったことをここに明言しておきます。下記の記載は、「そもそもこれって何ぞや?」と思っている方に向けたものだと思って下さい。

JASRACとはどんな組織か?

 JASRACは、正式名称を一般社団法人日本音楽著作権協会と言い、その内容を一言でまとめれば「音楽に関する一切の著作権管理を受託し、その著作権を守る組織」です。
 音楽も(そこに含まれる歌詞も)、当然ながら人の作った著作物であり、不当にパクられたりしない為にその権利を守る必要があります。しかし音楽は元来、簡単に口ずさめたりできるが故に様々な表現方法があります。CDやカセットに録音して流すだけでなく、ラジオやテレビで流すこともできますし、カラオケで皆が歌いますし、音楽教室でも街中でもどこでも歌うことができます。こんなに沢山の表現手段があると、いかに音楽家と言えどとても管理しきれないですし、「使用料徴収する!」なんて触れて回ることはできません。
 そこで、そうした著作権管理を一括して担うのが、JASRACという訳です。彼らが著作権を管理し、もし著作物を使用する場合はお金を徴収しにかかります。
 著作権管理をすることでJASRACが目指す姿は次のとおりです。

昭和14年に設立されたJASRACは、著作物がデジタル化されネットワークで世界をかけ巡る時代を迎えた今、80年を超える実績と経験をベースにデジタル化・ネットワーク化時代の著作権管理のあり方を追求するとともに、そのルールづくりを担い、人々にとってかけがえのない音楽文化の普及・発展に尽くしてまいります

JASRACホームページの「JASRACの紹介」より

複製権・公衆送信権とは?

 著作権については、noteに登録されて、創作をしている方なら恐らくどなたもご存知と思います。「知らない!」という方は、ぜひ以下の記事をお読み下さい。概要をつかめます。

 で、今回はJASRACから言われた「複製権」「公衆送信権」についてです。ほとんど文字通りではありますが、法律にはこう書かれています。

第二十一条 著作者は、その著作物を複製する権利を専有する。
(中略)
第二十三条 著作者は、その著作物について、公衆送信(自動公衆送信の場合にあつては、送信可能化を含む。)を行う権利を専有する。
2 著作者は、公衆送信されるその著作物を受信装置を用いて公に伝達する権利を専有する。

著作権法

 JASRACからの通知(先に貼った二枚目の画像)の通り、二十一条が複製権、二十三条が公衆送信権等についての定義です。つまるところ「著作物を無断コピーしていいのは著作者だけ!」と「著作物を公衆送信(例えばネット、ラジオ、テレビなど)で公開したり、公衆送信で受け取ったものを更に公開したりできるのを、無断でできるのは著作者だけ!」ということになります。そしてこれらの権利は、著作権を構成する権利の一部です(他にも口述権だったり、翻訳権だったり、沢山の権利が列挙されています)。
 今回私は、「これらを侵害したぞ貴様ァ!」とJASRACに怒られた訳です。無論、何もなく複製してネットに掲載したらそりゃ侵害待ったなしです。
 しかし著作権法には、一定の要件さえ満たせばこれらの権利を侵害しないと見なす、という表現方法があります。
 そうです、引用です。

引用の要件とは?

 著作権法上、「引用」は次のとおり定義されています。

第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない

著作権法

第四十八条 次の各号に掲げる場合には、当該各号に規定する著作物の出所を、その複製又は利用の態様に応じ合理的と認められる方法及び程度により、明示しなければならない
一 第三十二条、(中略)
2 前項の出所の明示に当たつては、これに伴い著作者名が明らかになる場合及び当該著作物が無名のものである場合を除き、当該著作物につき表示されている著作者名を示さなければならない

著作権法


 ということで、

・公正な慣行に合致する
・報道、批評、研究などの目的で、正当な範囲で引用する=全文引用とかは流石に正当じゃないよ!など
・出典は原則示す

あたりが引用の要件となります。更に、過去の判例などで「明瞭区分性」(きちんと引用部分と自分の意見の部分とが分かるか)、「主従関係性」(自らの意見が主で、引用部分が従であるか)の2要件も求められます。
 この引用というのは非常にありがたく、大学で論文を書く時などこれがなくてはとても無理ですし(というより『巨人の肩に乗れ』という表現がある様に、先行研究に乗って批判をし、又は発展させるのが研究)、文化も引用が無ければ育たなかったり、幅が狭まったりする事も多いです。チェンソーマンの漫画で、マキシマム ザ ホルモンの『チューチュー(以下略)』が使われたのは記憶に新しいですし、そうでなくても昔から(それこそコロコロコミックとかその辺の少年漫画でも)歌詞を載せる事でギャグを生み出したり笑いを取ったりする訳です。

私の記事の「引用」性

 さて、指摘された私の記事は「引用」としてどうか、という話です。
 個人的な結論としては「問題なし」と判断しています。

 一番に、何故歌詞を載せたのか?ということですが、これは「曲を紹介するに当たって、歌詞もその紹介に欠かせない一要素だと思った為。より曲の雰囲気を知ってもらいたかった為。つまり、曲という文化を広める為の一手段である」と主張します。
 歌の入っている曲は、インスト曲と異なり、歌詞にもきちんと意味を込めている場合が多いです(念の為断っておきますが、インスト曲の批判ではありません。インスト曲も良い曲多いですよ!)。場合によっては、その歌詞のメッセージ性を伝える為に曲を作っている場合もある。だからきちんと紹介するのなら、曲の雰囲気を作る一要素である歌詞も重要だと、記事を書く段階では思っていました。
 正直な話、「じゃあこれが法律で言う正当な目的なのか?」となると、そんなものは分かりません。法律は得てして曖昧な物言いが多く(というより、逆に全てを網羅し列挙し、禁則や刑罰を作ることは実質不可能)、これも人や裁判の委ねるところになるでしょう。人によって「お前の目的は正当ではない! 自己満足だ!」と言われるかもしれませんし、或いは「いや、曲を真に紹介するのなら絶対に必要だ。抜き出す箇所は難しいけど」と言われるかもしれません。
 が、私は一旦自信を持って、「正当な目的でもって歌詞を引用しようとした」「少なくとも何がしかの利益を不当に得ようとしたり、自作の歌詞だと喧伝しようとしたりして、引っ張ってきたのではない」とだけは言っておきます。

 出典は言うまでもなく、曲のタイトルとアーティスト名があるので、要件は満たしていると思いますし、主従関係性も満たしていると思います。10〜30字の歌詞に対して紹介文を数百字以上は書いていた(少なくとも「良い曲だよ!」の一言だけで終わらせることはしていません)ので。
 で、あとは明瞭区分性です。ありがたい事にnoteには引用の際に利用できる書式があります。本文と明瞭に区分されていると見做せるので、明瞭区分性も満たしていると思っています。

 こうした引用要件を満たしている以上、私は広く著作権(複製権、公衆送信権含む)を守ろうと行動していると思っていました。というか信じていました。が、ダメだったようです。JASRACに以下の様に書かれてはどうしようもないですね。

当協会は、本利用について「侵害情報の特定のための情報」の「ファイル名」に記載の著作物を複製又は公衆送信(送信可能化を含む。)することに対し、いかなる許諾も与えておりません
当協会は、「侵害情報の特定のための情報」の「ファイル名」に記載の著作物を複製又は公衆送信(送信可能化を含む。)することを許諾する権限をいかなる者にも譲渡又は委託しておりません

先の画像(二枚目)の文書より抜粋

 いかなる許諾もしていないのでは、引用もダメだということです。「いかなる」という強い言葉を使うということはそういう事です。

JASRACは当たり屋的に様々な所に突っかかっている?

 では、JASRACの決め事(いかなる場合も複製又は公衆送信を認めていない)は、法律に優先されるのでしょうか? 結論としては「んな馬鹿な話があるかよ」という事になるでしょう。
 近年、JASRACはいざこざを起こしています。2017年には、ボブ・ディランさんの歌詞を一部引用した式辞をネットに掲載したかどで使用料徴収をした(と言われている。JASRACは「徴収の請求はしていない」と否定)というニュースがありました。

 同時期、歌詞ではありませんが、音楽教室で演奏されたものに使用料を徴収するかどうかということで争ってもいました。最近決着がついたので、こちらはご存知の方も多いのではないでしょうか。

 結論として、京大の件は「引用要件を満たしていると認め、JASRACが退いた」となり裁判まではいかず、音楽教室の件は「生徒の演奏のみ使用料徴収対象外」として最高裁で決着しました。
 こうして見ると、何ともJASRACの対応が当たり屋的な印象を受けます。すなわち、「JASRACは法律に違反しているか否かに関わらず、取り敢えず脅してみた」様にしか見えません。もし本当に根拠を持って請求して(少なくとも違反を指摘して)きているのなら、京大の件はあんなにあっさり引き下がらず、きちんと裁判をしていた筈ですから。
 多分、今回の私の件もそうなのだと思います。「何となく悪そうだ、よし、脅してみよう」くらいな感覚でやって来たと推察します。理由は2つ。
 1つは、先程も申した様に引用の要件を守っていると思ったから。
 もう1つは、歌詞の載っている私の全ての記事を取り上げて、「違反だ!」と指摘していないからです。私は音楽記事を22件書いていますが、歌詞を引用したのは過半数(数えたら14件)だったと記憶しています。しかし、指摘があったのはその内9件。

ご丁寧にURLで送ってくれます。

 指摘のなかったものについてもJASRACは「違反可能性アリ」として指摘すべきなのに、それがありませんでした。一体何を基準に指摘しているのかわかりません。こういう所からも、とても当たり屋的な印象を受けます。「取り敢えず脅してみるか〜!」という意図が透けて見えます。
 だから世間的に「カスラック」だとか何とか言われてるんだなあ、と妙に納得もしました。

 ちなみに、私もJASRACと戦って良かったんですが、そんなので時間も意識も消耗するのが嫌なので(それよりは創作活動続けたいし、私生活が忙しい。戦っている暇がない)、今回は引き下がって歌詞を削除する形で記事の公開を続ける対応を取りました。

それでもJASRACは必要、だけど

 しかし、繰り返してはおきますが、著作権を保護するためにこれだけ大量の音楽を管理している、ということは文化の為に大事なことです。先にも言った通り、アーティストが全ての音楽放送や複製を管理・監視するなんて不可能だからです。何やかんやと言ってきましたが、JASRACは権利保護の為に無くてはならない組織だとは思います。
 とは言え、今回の様なことをされるとどうしたって心象が悪いのもまた事実だと思います。大体引用要件を守っていると思っても「ダメだよ!」とか言われたらどうしようもありません。どころか、何がどうダメかも言ってはくれません(まあ判断が難しいので当然と言えば当然ですが)。先の京大の件も、京大が毅然と対応し、JASRACが適法と認めたから良かったものの、そうでなかったら、金を払わねば歌詞を載せようにも載せられなくなる、ということになったのではないでしょうか。
 そして、私以上に歌詞について考察している記事なんてnoteには幾らでもあります。リンクを載せることは控えますが、最近『THE FIRST SLAM DUNK』の主題歌『第ゼロ感』の歌詞が凄い考えられている、とする考察記事がバズりました。私も面白く拝読しましたが、これだっていつJASRACの毒牙にかかるか分かりません。たとえ引用の要件を守っていても、奴らはやって来る可能性がありますから。
 それがまかり通って、面白い記事がなくなっていくんじゃないかと想像すると、釈然としないものがあります。

 初めに言った通り、JASRACは「人々にとってかけがえのない音楽文化の普及・発展に尽くしてまいります」と掲げています。こと歌詞については、果たして十全にその役目を果たしているのか、胸に手を当てて考えた方が良いんじゃないか、と私は思います。

自分の身は自分で処す

 ことnoteに限った話にしますが、以上の事から、JASRACから心臓に悪い通知が来てほしくない場合、記事に歌詞を載せることは差し控えた方が良いかと思います。
 どうしても載せたい! という場合は、引用の要件をきっちり守っておいて、JASRACから通知が来ても毅然と戦う覚悟を決めるか、JASRACに使用料を払うかのどちらかになります。
 ちなみに、noteさん公式にこの件について問い合わせても、一切の返事は頂けません。「創作を後押しする著作権の考え方」というようなヘルプページを渡され、「個人個人に法律的な対応について言うことはしてません」「知りたきゃ自分でしかるべき所に問い合わせな」と言われて終わりです。まあ、上場企業としては正解(個別対応なんてし始めたらキリが無いし、そんな事より利益を得る事業を回した方が合理的)なので、もう諦めています。

 しかしですね、noteは正式に「好きなアーティストの歌詞を掲載してもいいですか」というFAQに対し、以下の様に回答している訳です。

歌詞にも著作権がありますが、引用要件を満たしていれば問題ないものとされています

noteのホームページ「好きなアーティストの歌詞を掲載してもいいですか?」より

 それでも、JASRACから通知が来たらロクに精査もせず、作者に全部委ねる訳です。不安にさせたら申し訳ありません、という定型文を一筆して。

 つまり、「noteというプラットフォーム」はこの件について、私達創作者を守ってはくれません自分の身は自分で処す必要があります

 まあ分かります。著作権なんてものは創作に付き物で、それをきちんと分かった上で公開する。何か言われたら責任を自分でしっかり取る。それはそうです。
 でもこうしてみると、個人的にはやっぱりやるせないなあ、と思ってしまう訳です。戦わずして従った自分からは、最早何を言っても負け惜しみにしかならない訳ですが。

 私はもう懲りたので、今後歌詞そのものを載せることはしないつもりです。その制約の中で曲の雰囲気や良さを伝えられるように頑張ってみたいと思います。

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