「おこ」から考える、やさしい世界のつくり方

最近、人間の「ブチギレ」に興味があります。

要は「怒り」のことなんですが、
皆さんも普段生活する中で、自分自身や他人に対して、「おこ!」という気持ちになることも少なくないと思います。
(「怒り」ってなんかゴツくてこわいので、本記事では以下「怒り」のことを「おこ」と記載します)
 ※ ここでいう「おこ」とは仕事におけるフィードバック等に限らず、
   プライベート含む日常生活を過ごす中で抱く「怒り」全般を指します

直近で言うと、東海オンエア周りのブチギレ度合いが一部で話題になってますが、
人間のたった一時の「おこ!」という感情がその人間の人生さえも大きく左右してしまっており、
この「おこ!」という感情といかに付き合っていくか、というのは
健全に生きていく上でのひとつ重要なテーマだったりするのかな、と最近感じています。

今回の記事では、「おこ」に対して思考を巡らせる中で感じた、
 ● そもそもなぜ人間は「おこ」になるのか?
 ● その理由から見えてくる、「やさしい世界」の作り方
みたいなところを伝えられればと思います。


そもそもなぜ人間は「おこ」になるのか?

「おこ」という感情について色々調べてみると、大抵の資料には
「心理学の世界において、怒りとは『第二感情』である」と記載されています。

つまり、人間は「おこになって当然」という事象に出くわした際、
そこからいきなり「おこ」の感情になるわけではなく、
まず初めに「悲しさ」「寂しさ」「恥ずかしさ」「不安」「困惑」などといった第一感情を抱いてから
「おこ」という第二感情に行き着く、らしいです。

では次に、
「どういう時に、上記のような第一感情が発生するのか?」という話になりますが、
これについては、僕自身が過去に抱いたことのある「おこ」から帰納的に考えてみた結果、
以下の2つの状況に陥った際に人間は「おこ」になると考えました。

① 自分の「期待」が裏切られたとき

・例1:職場の後輩に何度も同じ指摘をしているのに、一向に直らず、「おこ」の感情を抱いた
・例2:高級レストランで店員さんに雑な対応をされ、「おこ」の感情を抱いた

ここでいう「期待」とは、「~~してほしい」「~~してくれるだろう」といった思いを指します。

例1で言うと、「何回も同じ指摘をしているのだから、流石に次こそは改善してほしい。。」
例2で言うと、「高級レストランなんだから、これくらいの高品質なサービスをしてくれるだろう。。」
という期待であり、それらを裏切られた際に、
「悲しさ」「落胆」「やるせなさ」という第一感情が生じ、
最終的におこに至ったと言えると思います。

② 自分の「信条」から外れた言動をされたとき

・例1:職場の後輩が、別メンバーに対し横柄な態度を取っており、「おこ」の感情を抱いた
・例2:親友に大事な予定をすっぽかされたが、謝罪がなく、「おこ」の感情を抱いた

ここでいう「信条」とは、「~~するべきだ」「~~であるはずだ」といった思いを指します。

例1で言うと、「誰に対してでも、人として気持ち良いコミュニケーションを取るべきだ!」
例2で言うと、「人に対し悪いことをしてしまったら、然るべき謝罪をするべきだ!」
という信条であり、それらから外された言動をされた際に、
「困惑」「不安」「恥ずかしさ」という第一感情が生じ、
最終的におこに至ったと言えると思います。


やさしい世界をつくるには?

ここからが僕が一番お伝えしたい内容になるのですが、
ではその上で、どうすればやさしい世界をつくれるのか?という点について
「おこりそうになった人」「おこられた人」それぞれに分けて記載します。

おこりそうになった人へ

 ~STOP、身勝手なおこ。それ、本当におこって大丈夫?~

人間は感情的な生き物なので、おこりそうになることは当然あると思います。
ただ、そういった際は、
 ・自分の「過度な」期待によって、独りよがりなおこになっていないか?
 ・相手の理解と「ズレた」信条によって、的外れなおこになっていないか?
ということを、一旦冷静になって踏みとどまり、自分に問うようにするとよいと思います。

もしかすると、
自分の「こうしてほしい」という期待が、相手に伝わっていないかもしれませんし、
自分の「こうあるべきだ」という信条が、相手と共通の認識を取れていないかもしれません。
(その状態でおこったとしても、相手に正しく伝わりませんし、状況は変わらないので、お互い不幸です)

まずは、自分の期待値や価値観を適切に相手に対して共有し、理解してもらい、
一方的に感情的な言葉をぶつけるのではなく、
「自分が何に対しておこっているのか」をはっきりと、丁寧に伝えられると良いかなと思います。

おこられた人へ

 ~受け止めるべき「事実」はいつもひとつ~

おこられた結果、
「そんなことで怒るなよ。。」「そんな言い方しなくてもいいのに。。」
と思うことも、当然あると思います。

しかし、事実としてあるのは、
「今目の前にいる人は、あなたに対しておこった」ということだけです。
色々と思う気持ちはよく分かりますが、
まずは、大人になって、この事実をしっかりと受け止めましょう。

つまり、
「その人が何に対しておこっているのか?」、ひいては
「その人のどういった期待に対し、自分はどう裏切るような行為をしてしまったのか?」
「その人のどういった信条に対し、どのように外れた行為をしてしまったのか?」

という粒度で捉えるようにしてみてはいかがでしょうか。

そもそも、おこるというのは結構エネルギーを使うもので、できればしたくないですし、
自分のためにおこってくれる人は、上記の論でいうと自分に対して何かしらの「期待」をしてくれている可能性が高いです。
(そもそも何の期待もしていない人は、もはやその人がいないものだとしてガンスルーします)

なので、おこってくれるということにある種ありがたみを感じつつ、
何でおこられているのかが分からなければ分かるまでおこってくれた本人に直接聞いた上で、
適切に反省し、行動を変えられると良いかなと思います。


最後に

別の記事で
「人間は弱くて自分勝手な、感情的な生き物」みたいなことを書きましたが、
結局人間なんて総じてカス、だと思ってます。
だからこそ、せめて僕自身はやさしい人でありたいなと常々思ってますし(できていないことばかりですが)、
だからこそ、みんながお互いにやさしくできる関係性を築けられたらとても素敵だな、と感じています。

本記事が参考になるかは分かりませんが、
人間、お互いにやさしくしていきましょう。。

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