怒りたい人達

思い込みで説教してくる人がいる。こっちが聞きたいことや、話の本筋から逸れた質問や追求を繰り返して、自分の中で決まっている答えの裏付けを大急ぎで取ろうとする人だ。

そして「答え」との距離が近づく度に語気が荒くなる。大の大人が、乳児が何かを要求する時の様にギャーギャー意味不明な言葉を喚く。あれほど見苦しいものはない。

以前…どこでみたのだろう。怒る人は怒りたいから怒るのだ、という言葉を目にした。これは納得の一文だ。

他人に怒る人は他人に怒りたいのだ。日頃の鬱憤を他人にぶつけてスカッとしたい。他人のアキレス腱を徹底的に苛め抜いて優越感に浸りたい。そう思うと色々納得かいく。

思い込みで怒る人は、自分が怒ることを正当化する理由があれば良い。だから相手に否があるように解釈できる側面が、一つあればよく、それが事実かどうかはどうでも良いのだ。だから相手に事実関係を詳しく聞かない。

そして、思い込みで批判した後、その後のアクションについても改善についても全く言及しないし責任も持たない。せいぜい、「ちゃんとしろ」と、なんの具体性もない改善要望を一言投げつけるくらいだ。相手の否を突くだけ突いて絶頂に達したから後はどうでも良い。

こういう大人は本当に多い。子供なら仕方ないが。

こういう大人は昇進する。普段から周りを貶めて吸い取った馬力を駆使して自信満々に話し、人事は騙される。そして「偉い人」はヒス持ちのメンヘラに溢れ、「偉い人」の機嫌を保つ仕事を任される人が一人補佐についたりする。

いや、そもそよ大人なんてどこにもいない。この世にいるのは体の小さな子供と老けた子供だけだ。