紫色のチェックのシャツ


 占い師の女は私の目を見つめて、こう言った。
 あなたの運命の人は、紫色のチェックのシャツを着ています。えっと、他になにか特徴はありませんか、と私はすかさず尋ねたけれど、占い師はもったいぶって残りの十分間うなるばかりで、結局服装以外のヒントはなに一つ与えてくれなかった。
 新宿東口の狭い占い屋を出て、とりあえず近くのスターバックスに入り、私は二階から大通りを見下ろしながら運命の人を探した。さっきの占い師はネットの口コミでよく当たると評判が良かったから行ってみたのに、どうして結婚相手の見た目や性格、背の高さなんかじゃなくて、あくまでシャツの柄を言い当てたんだろう。アイスラテで喉を潤しながら行き交う人を見てみても、平日の昼には息抜き中のサラリーマンばかりが目立つ。たまにリュックを背負った大学生も見るけれど違う。そうだ。チェックのシャツを着ているなら、そもそも社会人とは限らない。いや、洒落たスーツならあり得るか。あくまで小さく、自然な柄なら。
 チェックのシャツと言えば、大学生のときに一年間付き合っていた彼がよく着ていた。当時、彼は両親からの仕送りがないために、アルバイトを掛け持ちして生活費を捻出している状態だった。そのためにお金もなく、どこに行くにも同じ柄のシャツを着ていた。だから、私は一緒にいるところを友達に見られるたびに、少し恥ずかしくなった。とは言え、彼が好んでいたのは赤いチェックのシャツだ。インディーズバンドとか好きそうな男の子が着ている定番のやつ。だから、彼が間違っても紫を着ていた記憶はないし、占い師の言う通り運命の人がその柄を着ているのであれば、卒業後によくわからないまま自然消滅したことにも頷ける。他にチェックを着ていた人がいないか思い出してみるけれど、今となっては当時の彼氏しか頭に浮かんでこなかった。

「ね、だれかと待ち合わせ?」
 そのとき、隣の席にいる眼鏡をかけたスーツ姿の男性から声をかけられた。さっきからノートパソコンを広げて仕事をしている様子だったので、一瞬、この人が本当に声をかけてきたんだろうかと悩んだ。
「違いますけど。どうして?」
「きみは大学生なの?」
 私の質問を平然と無視される。
「いいえ。平日休みなので」
「そうなんだ。もしかしてサービス業とか? 長時間労働なのに低賃金の会社が多いけど、そういう感じ?」
 面倒なので返事しないでいると、男は私の身なりを見回して一方的に話を続けた。
「俺さ、この後知人から人を紹介してもらって、その人に新しい仕事のお手伝いをお願いしようと思っていたところなんだ。でも、きみのほら、その鋭い目を見ていたら、この子こそ適任じゃないかって気づいて、思い切って声をかけたんだ。きっと今の収入よりぐっと増えるよ。最初は不安だろうけど、俺も去年から紹介で始めたし、大丈夫。どうかな、仕事、探していないかな?」
 男ははっきりとした口調で慌ただしく話し、私の目を見つめて逸らさない。どうやらナンパをされたわけではないらしい。パソコンの画面には、なにやら会社のスローガンらしき標語と共に、仲間とか、夢とか、そういう世界中の馬鹿らしいフレーズをぎゅっと集めた文字が並んでいた。
「今、目が鋭いって言った?」
「そう。さっきから通りの人を睨みつけていたじゃない。人を探しているんじゃないなら、若者特有の人間観察ってやつ?」
「違います。ちゃんと探しています」
「やっぱり待ち合わせなんじゃん」
「だから、運命の人を探しているんです」
 私がそう言い切ると、男は目をぱちくりさせた。
「え? 運命って言った?」
 私は半分以上残ったアイスラテを飲み干して、席を立った。男は軽く首をひねると、ノートパソコンにゆっくりと視線を戻して、それ以上私を引き留めようとはしなかった。ちらりっと見た男のシャツは、無地の水色のシャツだった。

 新宿の街を歩きながら、私は紫色のチェックのシャツを探し続ける。
 そもそも運命の人と言うくらいなら、私が探さなくても出会えるはずじゃないか。たとえば道に立って、ぼんやりしているだけでも、そのうち肩がぶつかるかもしれない。運命の人という肩書きを持つんだから、それくらい起きなきゃおかしいはずだ。ただ通り過ぎる人混みから一人を見つけるなら、他の人はどうやって探しているって言うの。
 さっきから目の前を通り過ぎるのは、やっぱりスーツを着た男性たちか、ティッシュ配りのアルバイトか、はたまた大学生のカップルばかりだ。それぞれスマートフォンを見たり、音楽を聴いたりしながら、一心不乱に自分の行くべき場所に足を進めていく。私が道に立っていても、足を止める人はいない。
 探せば探すほど、運命の人の人物像が頭に思い浮かんでくる。
 占い師は言わなかったけれど、年齢は今までの同じ年の彼氏と違って、多分年上に違いない。でも、付き合うならカラオケで一緒に歌う曲はとっておきたいから、五つ上までがいい。それと、毎日べたべたするのは苦手だから、会うのは多くても週一回、できれば二週間に一回で構わない人がいい。その代わり一緒にいるときはうんと長く、朝食のトーストから夜のデザートまで一緒にいたい。それに、きっと彼の髪は短くて清潔感があって、性格は明るくて、私が日々溢す人間関係の愚痴やネガティブ発言を流すくらいに穏やかなはずだ。背伸びしないとキスできないほど背が高くて、からだも細くて、でも運動嫌いでもいいから足は私より速いといい。ハリウッド映画によくある地球が滅亡するシーンで、全力で逃げなきゃいけないときに引っ張ってくれなきゃ困るから。
 日が傾いた街の中を歩きながら、私は運命の人を探し続ける。
 西口をまわって南口に向かい、また東口に戻ってくると伊勢丹まで歩いて、人の流れにのって奥に進む。白、水色、白、ストライプ。それらに混ざって、たまにチェックのシャツとすれ違ったけれど、オレンジや青ばかりで紫はいつまで待っても現れない。まあ、今時紫色のチェックのシャツなんて着ている人に、ファッションセンスがあるかはわからないけれど、とにかくそれだけは疑いようのない真実なんだから。

 居酒屋とホストクラブのキャッチをすり抜けて、靴を踏んでしまいそうなほどの人混みを掻き分けて進んだ途中で、私はもう諦めてしまおうと回れ右をする。もう家に帰ろう。この街を探そうとも、紫色のチェックのシャツなんて着ている人は、どこにもいない気がしてきた。諦めて改札に向かったところで、私はちょうど、その人が階段を下りてきたところを見かけた。
 その人が着ているのは、間違いなく、紫色のチェックのシャツだった。でも、想像していたより背は高くなければ、お腹も出ている気がするし、なんなら年上とは言え、年齢は父親と変わらないくらいに思えた。カラオケで一緒に歌える曲があるだろうか。おじさんは額にかいた汗をハンカチで拭い、ポケットから出したスマートフォンに目をやった。
「あの」
 私はその男性に声をかける。
 おじさんは驚いたように顔をあげると、私を見て足を止める。人混みの中で見つめ合った私たちは、思わず息を飲む。おじさんの薬指には銀色の輪が苦しそうにはまっていた。ね、どうして私を待ってくれなかったの、自分だけ先に結婚しちゃったわけ。私はこんなに必死に歩いて、探し回っていたって言うのに。この運命の恋がどうなってしまうかわからないけれど、とにかく、後には引き返せないってことだけは、はっきりとわかっていた。  




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