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真夜中のディズニーランド

 

 真夜中に見かける隣の工事中のマンションは、まるでディズニーランドのアトラクションみたいだった。あの街に越してきたとき、そこはまだ閉院したばかりの病院で、しばらくの間廃墟として残っていた。けれど、オリンピックに向けた都市開発で大規模な工事が行われ、いつの間にかタワーマンションの建設が始まった。
アルバイトを終えた帰り道、駅から続くなだらかな坂を上りながら、私はその景色をじっと見つめるのが好きだった。

 初めて一人暮らしを始めたアパートは、都心から40分以上も離れた駅の近くにあった。家賃は安くないのにとてつもなく狭くて、台所の横に小型の冷蔵庫、洋室にシングルベッドと本棚を置けば、床のほとんどが埋まった。おまけに近所のコンビニで馬鹿騒ぎする同い年くらいの男の子たちの笑い声が、深夜の間ずっと聞こえてきた。
でも、夜遅く帰るからってだれにも連絡をする必要はないし、気にせずにお風呂も入れて、夕飯だって食欲がなければ食べなくたっていい。だれの監視下にもない生活は自由だった。けれど、一人きりの時間は想像していたよりも途方もなく長くて、若かった私は、退屈凌ぎに恋ばかりしていた。
 あの人は今夜、玄関のドアをノックするだろうか。
 コンビニのお弁当を食べて、大学の課題にも手をつけず、ただ雑音しか発しないテレビの光を見つめながら、いつもそればかり気にしていた。彼は私よりも3つ年上で、この街にきて初めて好きになった人だった。若さと強さを武器にして、今まで培ったすべてを出し尽くしても、たまに優しくするだけで決して振り向いてはくれない。

 あの街が今どんなふうになっているかなんて知らない。もう行く用事だってなにひとつない。けれど、本当にごくたまに、あの部屋で過ごした4年間を思い出すこともあった。熱すぎる湯船に浸かって本を開いたときや、眠れなくなった深夜、飲み会の後に足をふらつかせながら玄関に辿りついたときなんかに、あの部屋で過ごした時間が蘇ってくる。私たちは一緒にテレビゲームをして、海外中継のサッカーを観て、あまりおいしくない私の手料理をからかいながら食べた。それで、隣のマンションを指さして、なんだかディズニーランドみたいじゃないって話しかけたときも、彼はくだらなさそうに眉をひそめて、それでもちゃんと笑って聞いてくれた。
 ねえ。
 住んでいる街は変わってしまったけれど、私はあのときと同じように暮らしている。今は大人になったから、よく知らない人とお酒を飲んで酔っ払って、なんにも考えていないふうにデザートを食べながら笑うことができる。そうやって幸せそうなふりして生きていくの、すごく得意になったんだよ。

 この街の夜空は、わざとらしいくらいに明るいね。だから、美しいものもそうじゃないものも、初めからなにもなかったみたいに消してしまうんだよ。

 

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