見出し画像

大崎八幡宮(おおさきはちまんぐう)

宮城県仙台市青葉区八幡4丁目6-1

【旧社格】村社

【御祭神】
応神天皇
仲哀天皇
神功皇后

【御由緒】
創建年代不詳。
平安時代初期、東夷征伐に際して坂上田村麻呂が、武運長久を祈念すべく武門の守護神である宇佐八幡宮を現在の岩手県水沢市に勧請、鎮守府八幡宮を創祀しました。
室町時代に奥州管領大崎氏はこれを自領内の現遠田郡田尻町に遷祀し守護神として篤く崇敬した為、大崎八幡宮と呼ばれました。
大崎氏の滅亡後は伊達政宗公が居城の玉造郡岩出山城内の小祠に御神体を遷し、仙台開府後仙台城の乾(北西)の方角にあたる現在の地に祀られました。
社殿(本殿・石の間・拝殿)は国宝です。


【御神徳】
仙台における「卦体神(けたいがみ)」という十二支の神を信仰する習俗においては乾(戌亥)の守護神とされ、戌歳・亥歳生まれの人々から篤く信仰されています。
また、古来より厄除け・除災招福や必勝・安産の神様とされてきました。


*御祭神の謎*
宇佐八幡宮(宇佐神宮)より勧請されたと由緒書きにありました。
しかし応神天皇・神功皇后は分かりますが、もう一柱は仲哀天皇ではなく比売大神(多岐津姫命・市杵島姫命・多紀理姫命)の筈です。
仲哀天皇は女性だったのでしょうか。漢風諡号も他の天皇とは趣を異にしている印象を受けます。
諱は足仲彦(帯中日子)で、日本書紀には日本武尊の正妃の第二子と書かれていますが、同母で第一子の稲依別王は、古事記の記述では異母の弟となっています。
書紀の記述が正しければ、稲依別王が天皇になっていた筈で、明らかに書記は意図的に仲哀を次男とし、諱の矛盾を隠そうとした形跡が見て取れます。
そして、そうまでして仲つ(中つ)を強調しているのを見ると、仲哀は中継ぎの天皇だった可能性があるように思われるのです。

仙台はちょうど七夕祭りの時季でしたので、境内も活気に溢れていました。
お願い事はやはり疫病退散が多かったです。
気軽に旅を楽しめるご時世になってほしいものですね。

楽しいお勉強カフェを作りたい!