空色

最近ハンドメイド作家としてデビューしたばかりです。 作家活動を通して、社会の仕組みなど…

空色

最近ハンドメイド作家としてデビューしたばかりです。 作家活動を通して、社会の仕組みなどを学んでいきたいと思っています。 noteで勉強させて頂きます。 よろしくお願いします。

マガジン

  • 神社仏閣巡り

    神社仏閣を訪れ、学んだことを書きます。

  • 日々の恵み

    日々思ったことを書きます。

  • 日本史考

    色々な歴史関係の小説、解説書、漫画などを通じて、自分なりに解釈した日本史をお届けします。

  • お二人様で行くお薦めカフェ

    お一人様だと少し寂しいので、恋人や友達と二人で行ける、落ち着いたカフェを探す為の旅が始まりました。 最初は身近な所のカフェをご紹介しますが、そのうち日本を飛び出して、世界中のお二人様カフェも探したいです。

最近の記事

熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)

和歌山県田辺市本宮町本宮 ユネスコ世界遺産 【社格】 式内社(名神大社) 旧官幣大社 別表神社 【御祭神】 家都美御子大神(けつみみこのおおかみ) 熊野坐大神(くまぬにますおおかみ) 熊野加武呂乃命(くまぬかむろのみこと) 【御由緒】 崇神65年に、今の大斎原(おおゆのはら)に創建されました。 『熊野権現垂迹縁起』には、熊野坐大神は中国の天台から飛来されたと伝わっています。 古代から中世にかけて、神職はニギハヤヒの後裔で熊野国造の流れをくむ和田氏が世襲し、平安時代に名

    • 専修寺(せんじゅじ)

      三重県津市一身田町2819番地 「本山専修寺」や「一身田専修寺」とも呼ばれます。 真宗高田派 本山 【御本尊】 阿弥陀如来 「証拠の如来」 【真慧と 証拠の如来】 天台宗延暦寺は、寛正年間に以前から敵対していた本願寺第8世蓮如を「仏敵」とし、幾度となく攻撃を加えてきました。 迷惑を被ったのは専修寺門流(高田派)です。 延暦寺は専修寺門流と無碍光流(本願寺派)を同一視し、敵と看做していたのです。 その為、真慧という高田派の僧侶が比叡山に登り、両者が全く別であることを理解

      • ひとりよがりなのは分かってますよ。

        • 価格をどう設定するか

          最近、縁あって地域の物産館で私の作品を売るスペースを頂いた。 主にブックカバーやアクセサリーなどを並べている。 いろいろ学ぶことが多い中で、一番頭を悩ますのは価格設定である。 最初はとにかく売ろうと、安く設定することも考えた。 しかし曲がりなりにも自分の時間を割いて、心を込めて作った作品達。 ここで一旦立ち止まり、私の主義を考えてみることにする。 商品の金額とは、顔も見ぬお客様との唯一の会話の手段である。 金額を通して、自分が何を伝えたいか。 *** まずは、物を大

        熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)

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        • 神社仏閣巡り
          21本
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          23本
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          14本
        • お二人様で行くお薦めカフェ
          7本

        記事

          水戸東照宮(みととうしょうぐう)

          茨城県水戸市宮町2-5-13 正式名称は「東照宮」、別名は「権現(ごんげん)さん」、「三所権現」など。 【社格】 旧県社 別表神社 【主祭神】 徳川家康(東照公) 【配祀】 徳川頼房(威公) 【御由緒】 元和七年(1621年)四月二十一日に、水戸初代藩主徳川頼房公が、父徳川家康公の御霊をこの地に祀ったのが始まりです。 当初は神仏習合で仏祭でしたが、天保十四年(1843年)第九代藩主斉昭公が従来の仏祭を廃止、神道による祭祀に改められました。 当時この地名は「霊松山」と

          水戸東照宮(みととうしょうぐう)

          真清田神社(ますみだじんじゃ)

          愛知県一宮市真清田1-2-1 【社格】 尾張国一宮 延喜式内社(名神大) 国幣中社 別表神社 【御祭神】 天火明命(あめのほあかりのみこと) 【御由緒】 神武天皇33年3月3日に当地で鎮祭されたのが始まりと伝えられています。 他にも崇神天皇年間に国常立尊を当地に奉斎したという説もあります。 社名の「ますみだ」は「真墨田」という用字も存在します。 ⛩尾張一宮の謎 尾張国には延喜式内社の名神大社に列する神社が三社あり、真清田神社が一宮、大縣神社が二宮、熱田神宮が三宮です。

          真清田神社(ますみだじんじゃ)

          二代の后 藤原多子

          時は平安末期、平氏が栄華を極める兆しが見え始めた保延6年(1140)に藤原多子は生を享ける。 実父は徳大寺(藤原)公能、実母は藤原豪子であったが、誕生間もない頃から藤原頼長、徳大寺幸子(多子の伯母)の養女として育てられた。 久安4年(1148)に頼長が、娘を近衛天皇の元へ入内させる旨、鳥羽法皇に奏上し、認可を受ける。 入内に際して必要となる諱は、儒者や陰陽師に決めてもらうのが、当時の慣例であった。 ここで初めて「多子」と名付けられ、従三位に叙せられる。 ※※※ 当時は

          二代の后 藤原多子

          難民問題の解決法

          入管法改正案が国会において可決された。 「改正」ではなく「改悪」だと訴える人々が少なくない。 母国の紛争などで命からがら日本に避難してきた難民に対し、受け入れに厳しい制限をかける法だからだ。 (強制送還されようものなら、命の保証は無いケースもある) 一方で、難民を受け入れるべきではない、という意見も少なからず存在する。 自分達の血税で保護することに反対する人もいれば、難民の犯罪を憂える人、そもそも日本は単一民族国家であり他国とは事情が違うと主張する人、理由は様々だ。 **

          難民問題の解決法

          二人の彦火火出見尊

          皇孫 瓊瓊杵尊が鹿葦津姫(木花咲耶姫)を召して、一夜にして身ごもったのを、皇孫が怪しんで「私の子ではなかろう」と暴言を吐いた。 それに怒った鹿葦津姫は、出口の無い小屋に籠って火をつけ「この子が皇孫の子であれば傷つかず、そうでなければ焼け死ぬだろう」と言って、無事に産まれたのが火闌降命(海幸彦)、彦火火出見尊(山幸彦)、火明命の三人の御子である。 彦火火出見尊は海神の娘 豊玉姫を娶り、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊をもうけた。 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊は叔母の玉依姫を妃とし、彦五瀬命、

          二人の彦火火出見尊

          開成山大神宮(かいせいざんだいじんぐう)

          福島県郡山市開成3丁目1番38号 東北のお伊勢さま、とも呼ばれます。 拝殿に掲げられた神号は、有栖川宮熾仁親王による書です。 【社格】 県社 【御祭神】 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 豊受大神(とようけのおおかみ) 神倭伊波禮彦命(かむやまといわれびこのみこと)=神武天皇 【御由緒】 安積開拓の開拓民の精神的なよりどころにするため、福島県の典事の中条政恒が伊勢神宮の分霊の奉遷を神宮司庁へ働きかけた結果、1876年に認可がおりて創建されました。1873年当初は「遥

          開成山大神宮(かいせいざんだいじんぐう)

          大崎八幡宮(おおさきはちまんぐう)

          宮城県仙台市青葉区八幡4丁目6-1 【旧社格】村社 【御祭神】 応神天皇 仲哀天皇 神功皇后 【御由緒】 創建年代不詳。 平安時代初期、東夷征伐に際して坂上田村麻呂が、武運長久を祈念すべく武門の守護神である宇佐八幡宮を現在の岩手県水沢市に勧請、鎮守府八幡宮を創祀しました。 室町時代に奥州管領大崎氏はこれを自領内の現遠田郡田尻町に遷祀し守護神として篤く崇敬した為、大崎八幡宮と呼ばれました。 大崎氏の滅亡後は伊達政宗公が居城の玉造郡岩出山城内の小祠に御神体を遷し、仙台開府後

          大崎八幡宮(おおさきはちまんぐう)

          志波彦神社(しわひこじんじゃ)

          鹽竈神社境内 延喜式内名神大社 【御祭神】 志波彦大神(しわひこのおおかみ) 農耕守護・殖産・国土開発の神。 記紀等に記述は無く、土着神と考えられます。 【御由緒】 創建年代不詳。 元は仙台市岩切の冠川の畔に鎮座され、陸奥国百社の名神大社でした。 明治7年に鹽竈神社の別宮本殿に遷祀、昭和13年に現在の地に御遷座申し上げました。 全額国費を以て造られた最後の神社とも言われています。 【昭和天皇御製の碑】 さしのぼる 朝日の光 へだてなく   世を照らさむぞ わがね

          志波彦神社(しわひこじんじゃ)

          仲哀天皇は女性だった?

          日本の第14代天皇である仲哀天皇。 古代の英雄、日本武尊の子であり、三韓征伐で有名な神功皇后の夫である。 しかし、今の通説では実在性さえ疑われる人物となってしまった。 仲哀は女性ではないか? まず漢風諡号に注目した。 「哀」を抜くと「仲天皇」(なかつすめらみこと)と読める。 「なかつすめらみこと」=「中皇命」と呼ばれた人物が『万葉集』で認められる。 誰を指すのかは定説が無いが、斉明女帝か、その娘である間人皇女が有力とみられている。 いずれにしろ、先の天皇と後の天皇の中継ぎと

          仲哀天皇は女性だった?

          鹽竈神社(しおがまじんじゃ)

          宮城県塩竈市一森山1-1 志波彦神社(しわひこじんじゃ)との二社が同一境内に鎮座している、珍しい神社さんです。 【御祭神】 主祭神・別宮  塩土老翁神(しほつちのをぢのかみ) 左宮  武甕槌神(たけみかづちのかみ) 右宮  経津主神(ふつぬしのかみ) 陸奥国一宮 全国にある鹽竈(鹽竈・塩竈・塩竃・塩釜)神社の総本社。 【御神紋】 塩竈桜 【御由緒】 創建年代不詳。 武甕槌神と経津主神が東北を平定した際に、両神を先導した塩土老翁神がこの地に留まり、人々に製塩

          鹽竈神社(しおがまじんじゃ)

          來宮神社(きのみやじんじゃ)

          静岡県熱海市西山町43-1 【御祭神】 日本武尊(やまとたけるのみこと) 武勇と決断の神 五十猛命(いたけるのみこと) 樹木と自然保護の神 大己貴命(おおなもちのみこと) 営業繁盛、身体強健の神 全国四十四社のキノミヤジンジャの総社 【御由緒】 古くから来宮大明神と呼ばれ、熱海の地主神として来福・縁起を司り、信仰されていました。 和銅3年(710)に熱海の海へ漁夫が網をおろしていると、木像らしい物が入ったので不思議に思っていたところ、童子が現れ「我は五十猛命

          來宮神社(きのみやじんじゃ)

          箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ)

          埼玉県東松山市箭弓町2-5-14 【御祭神】 保食神(うけもちのかみ) 宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ) 豊受比賣神(とようけひめのかみ) この三柱の神は、いずれも食を司る神であり、「うけ」「うか」「うが」が御名に含まれています。 保食神は宇迦之御魂神と同一視され、稲荷神社に祀られる例が他にもあるそうです。 【御由緒】 和銅5年(712)に創建と伝えられます。元は「野久稲荷」と申し上げました。 平安時代中期、下総の平忠常が謀反を起こし、勢力を拡大していきます。 朝

          箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ)