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出雲大社埼玉分院(いずもたいしゃさいたまぶんいん)

埼玉県朝霞市本町2丁目20−18

【御祭神】
荒船神社:三宝荒神(サンポウコウジン)
出雲大社:大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)
祖霊社 :幽冥大神(カクリヨノオオカミ)
      (大国主大神の別称。祝詞『幽冥神語』での呼称です。)

【御神徳】
荒船神社:商売繁盛、火災除け
出雲大社:縁結び、家内安全、厄除け

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【御由緒】
1983年、出雲大社朝霞教会として創立。
2020年、出雲大社教埼玉分院(出雲大社埼玉大教会)に昇格。

通称を「朝霞の出雲大社」「埼玉の出雲さん」といいます。
元々は、荒船神社があったところに出雲大社教の埼玉分院を建てたようです。

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【荒船神社 御由緒】
嘉永元年(1848)八幡太郎源義家の子孫が保元の乱に敗れて渡邉氏の始祖となり、関西宝塚から所持していた守護神・清三宝荒神を朝霞市の荒神山に祀りました。

・三宝荒神とは
仏法僧の三宝を守護し、不浄を厭離する佛神。
像容は、三面六臂または八面六臂(三面像の頭上に5つの小面を持つ)です。
頭髪を逆立て、眼を吊り上げた、暴悪を治罰せんとする慈悲が極まった憤怒の表情を示しており、密教の明王像と共通するものがあります。
竈の神様として祀ることが多いようです。
かの上杉謙信公も、三宝荒神を前立に使った変わり兜を所有していたそうです。

ちなみに荒神は、神在月(神無月)に出雲へ行かず、村や家に留まる留守神とされています。出雲の大国主大神をこの場所に祀ることとしたのは興味深いですね。


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・大黒天
大国(おおくに)=(だいこく)とも読めることから、大国主大神を大黒天として祀るようになりました。


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【出雲大社教(いずもおおやしろきょう)とは】
明治15年(1882)、出雲大社第八十代出雲国造・千家尊福氏が創設した教団。
教派神道(神道十三派)のひとつ。
出雲大社は神社本庁に所属しますが、出雲大社教は違います。
どういうことかというと、宗教法人出雲大社が宗教法人神社本庁の被包括宗教法人であるのに対し、宗教法人出雲大社教は宗教法人神社本庁の被包括宗教法人ではなく、単立宗教法人です。

何故こんなややこしいことになったのでしょうか。
そもそも明治13年に設けられた神宮遥拝所において、神造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)および天照大神の四柱を祀る(伊勢派の主張)と決定されたことに対して、出雲派は大国主大神も祀るべきだと主張しました。しかし伊勢派が明治天皇の支持を得たこともあって、出雲派は敗北し、大国主は祀られないことになりました(明治13年の祭神論争)。
さらに、明治15年1月に明治政府が布告した「神官教導職分離令」によって、神社に奉仕する神官と布教を行う教導職が分離され、出雲大社に勤務する神官が国家とは別に独自に出雲信仰の布教を行うことが禁止されたのです。
そのため、当時の出雲国造・千家尊福氏は、出雲大社大宮司を辞職して自らが教団の開祖となり、組織を出雲大社本体および国家神道から分離させる形で明治15年に出雲大社教を設立しました。

いろいろと微妙な立ち位置にある出雲大社と出雲大社教。
しかしどちらも大国主大神の御神徳を広めるという主旨は同じです。
安心して埼玉分院でお祈りを捧げてください。

拝礼の作法は出雲大社と同じ『二拝四拍手一拝』です。

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凛々とした御神気を感じる一方で、近くにお住まいの方々もご家族でお参りにいらしていて、周りから慕われているお社なんだな、と思いました。
御本殿はやや小ぶりながら、全長5mの大注連縄は迫力満点。
近くまでいらっしゃった際には是非おいでください。

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