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わたしの長い長い自己紹介

今年もあと1ヶ月となった今だから、しっかり自身のことを書いてみたい。

長い長い自己紹介。

大学卒業〜今までの私

私は、福岡の大学を出て、リクルートに入社して3年ちょいで辞めて、
彫金(宝飾を作ること)をしたくて、先生を探して教室に入った。

授業料と材料費のためバイトとして、教室のそばで時間の自由が利くコールセンターで働き始めた。学びながら、仲間と作品展・販売会をしたり、WEBで販売していた。

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プライベートは、リクルート時代の社内恋愛が遠距離恋愛となり、いつ結婚できるの?というもどかしさに葛藤し、西野カナの「if」を聞きながら、自転車を漕いで泣いたりしてた。なんとか結婚したからよかったものの、しなかったら痺れる大失恋だっただろう。

結婚に伴い、彫金は一旦お休みのようになり、代わりに、ベンチャーな小売店で働き始める。スーツを着たくない/人と接するのが好き/いつか自分の作品展をさせてもらえるかもしれない/家から近いという少々安易な理由で入社して、合っていたようで8年在職している。とはいえそのうち3年弱は育休産休で前線から離れていけれど。

夫とは出会って15年。結婚して8年。根深いレスと流産もあったけど、今は3歳と0歳の娘が2人。

長女の育休中に勤める会社の色々な角度からスタッフの悩みを聴くようになり、ただ聴くだけではなくてもっと前に進めるアプローチをしたいとコーチングを学び始めて、今まさに学びの真っ只中。

2021年の4月からまた復職する育休中が今時点のわたし。

ずっと何者かになりたくて もがいているわたし

かいつまんで書くとこうだか、一歩踏み込むと、葛藤とコンプレックスの連続だ。

ITベンチャーが乱立して、男も女も関係なくどんどん働け!成果主義だ!という風潮の時代に入社したリクルート。成果を出すぞ!お客様にたくさん喜ばれていい仕事をするぞ!と張り切るも、なかなかうまくかず、過労とパワハラ気味な上司に心身共に疲れてボロボロになった。逃げ出したい気持ちと昔から興味があった彫金をやりたい!という思いが重なり、3年ちょっとで退職。当時は「会社の名前じゃなくて、私の名前で勝負したいんだ!」と彫金の道で何者かになりたかった。集めたスーツを全部捨てて、ものづくりをするんだ!これを頑張るんだ!と大きな声で宣言したけど、心の中にはリクルートで頑張り抜けなかったという劣等感が残り、小さな塊となってずっと心に居座っていた。

一念発起して学び始めた彫金は楽しかった。バイトで稼いだお金で石を買い、銀や金やプラチナの地金を買い、道具を揃え、作っては売って、展示会を企画してWEBにUPして、精力的に制作していた。装苑に載る日を夢見て、制作・販売・展示・営業を全力でやっていた。デザインを考える時間も楽しくて、作りたいものと技量が伴わず焦りながらも、制作に夢中だった。

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4年ほどたった。自分一人でデザインをおこして、作って、ブランドとしてを育てる。これはなかなか孤独な戦いだった。お金はたまらず、この方法があってるのかわからず、拠り所が見つからない。何のために誰のために作っているのか、本来の気持ちを忘れそうになる。装苑への道は遠く遠く程遠く、徐々に自分に自信がなくなり、同時に作りたいものが見つからなくなって、制作スピードも落ちていた。

何かを作ることは焚き火に似ている。ずっと自分で薪を持ってきて燃やし続けなければいけない。薪を自分なりに楽しく調達できなくなると、作り続けることはできない。自身を鼓舞しながら制作する。相反することを自分自身一人でするのはかなり難しくて、作りたいものが思いつかない時が多々出てきた。

焚き火が下火になった時期と、結婚が重なった。

リクルート時代からずっと続いて、付き合って7年。結婚か別れるかどっちかにして!と私から強く迫り、もし「今は結婚できない」という答えがきた時は、思い切ってイタリアに宝飾留学しようと決めていた。イタリアにいる友人をツテに、どこに下宿させてもらおうか、お金をどうしようかと本気で考えていたあの時は、まさに人生の岐路だった気がする。

結局、なかば脅迫のようなプロポーズは成功し、結婚側に動いたので、イタリアではなく、東京にやってきた。作業する場所が変わり、1日の使い方も変わり、いろんな変化と共にジュエリーを作ることへの熱量も変わってしまった。ちょうど一人で煮詰まっていたことと、ずっと結婚したかった人と一緒になれて単純に嬉しくて、戦うように燃やしていた薪を、割らなくなってしまった。そんな自分にまた引目を感じつつも、新しい生活を楽しんだ。でもまた小さな劣等感の塊はまた少し増えていた。

ちょっとずつ積もる劣等感

リクルートの話と彫金の話。どちらも極められなかったことを認めたくないのでずっと眠らせたまま、蓋をしたまま。どうしていいかわからず、しばらく蓋をしたまま。でもまだ自分らしい生き方、私しかできないといえる何かがある気がして、ずっとアンテナを立てながらもがいていた。

なんとなくで働き始めた小売りの店舗は、沢山のものづくりをがんばる作り手さんに出会った。スタッフもバイトから正社員から様々はバックボーンを持って働いていた。

美術の高校教師になるため、器屋さんを経営するため、結婚して東北で旦那さんと日本料理やさんをやるためや、竹細工職人のご主人を支えるため。
ここでもたくさん何者かになりたくて羽ばたいていったスタッフを見送ってきた。
同時に何者かになりたいけど、どうしていいかわからない、自分はこれからどうしたいの?と悩む仲間の話もたくさん聞いた。聞くだけだけど。

そんな背景あって、あるきっかけで学び始めたのがコーチングだった。

彼らに何か私らしいアプローチができないか。自分がやりたい道をひとりぼっちじゃなくて、「伴走者とともに、何者かなる」という応援の仕方はないか。

何者かになりたくて、自分と周りを比較して、劣等感を感じまくった私だからこそ、相手の可能性を100%信じて、今まさに頑張ろうとしている、何者かになりたいさんの横で伴走して全力で応援したい。

がんばれよ!必ず君はできるよ!
信じてあと一歩頑張れよ!と応援したい。

そんな熱が、蓋をしていたかっこ悪い劣等感の塊に伝播して、
「おい!がんばれよ!わたしもできるよ!がんばれよ!」と、いま自分自身を応援している。

何者かになりたいさん専門家

私は、入ってすぐやめちゃった会社情熱を持っていた彫金を、中途半端にしてきたことに劣等感を感じながら、ずっと何者かになりたいともがく人だ。

でも最近そんなのが私ですよ〜と表現していいかなと思えるようになってきた。こんなダサいのも私だと言えるようになってきた。

何者かさんになりたい人を応援するためにコーチングもするし、応援している人を輝かせたいからジュエリーもコツコツわたしのペースで作る。作りたい・身につけたいと思うものを少しづつでも作り続ける。

自分で薪を取って割ってくべるし、誰かが薪を割るのを全力で応援したいし、一緒に薪を取りに行って横で並んで、楽しく割ってそれぞれ投入したい。

どれも未熟で、全く「何者か」になれていないけど、だからこそ、この2本で頑張ってみようと思っている。

私はずっと何者かになりたいさんだ。
何者かさんになりたいとあがく専門家かもしれない。

今そんなところ。

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そんなのがわたし。

少々長い自己紹介。さらけ出した自己紹介。
どうぞみなさん、こんな私をどうぞよろしくお願いします。

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