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自己満で免罪符だけど願いと愛情は溢れている

1歳と4歳の女の子と日々奮闘するコーチで彫金作家のぐっちです。

先日、長女が4歳のお誕生日を迎え、前日の夜に壁に飾りつけをして、"お誕生日のお祝い"を力一杯やりきった。

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できる限り壁に飾り付けをして、“お誕生日会を演出”したけれど、そこに私のどんな願いや意図と、さらにそこに含まれる母親の自己満足な気持ちも書いてみたい。

<1>“愛情をかけてもらった”という記憶

私が小学五年生の時に仲良しだった、スペイン帰りの帰国子女だった彼女のお母さん(日本人)は、いつもおしゃれで子どもたちに有名だった。

12月25日。
友達の家に遊びに行った時、玄関を入ってすぐ画用紙でできた大きな足跡が部屋まで続いていて、折り紙で作ったトナカイと画用紙で作った大きな靴下の飾りが置いてあった。これは何?と聞くと

「あーサンタさんがきたんだよねー!毎年こんなふうにお母さんが作ってくれてるの」

びっくり仰天だった。公務員の父と専業主婦の母だった我が家に、そんなおしゃれな文化習慣はなく、せいぜい起きたら枕の上にクリスマスプレゼントが置いてあるぐらいで、こんな飾り付けは初めて見た。

その時、とても羨ましくて、いいなと思った記憶がずっとある。いつか私もあれをしたいなと思っていたのが、この誕生日会のベースに流れている。幼心に、あんなの作ってもらって愛されてるな〜とちょっとだけお友達が羨ましかった。(私も親に愛してもらったという記憶はあるんだけど、あまりに鮮烈だったので羨ましい気持ちが残っている)

小さければ小さいほど、こういう「親が手間暇をかけて自分のために作ってくれたんだ!」という強い愛情みたいなものが体と心のどこかに沁みていくもんじゃないかなと密かに思っている。

目に見えてわかりやすく、「親が自分のために時間をかけて何かを作ってくれたんだ!」と記憶しやすい形で残したいというのが一番大きい願いであり動機だ。

<2>イメージしたものは自分で作ることができる

以前から、自分の誕生日の時に、たくさんのアンパンマンにお祝いしてもらいたいんだ〜!と長女は言ってた。自分の誕生日があと何日ぐらいでやってくるかをなんとなく把握していて、その時こんな風にお祝いしてほしいな〜と喋っていた。

風船があってね、アンパンマンがあって、おめでとうってみんなに言ってほしいの!

そういう漠然としたイメージでも、工夫すれば再現できるんだよ!ということを伝えたかった。

朝起きて壁を見た娘は、

このアンパンマンどうやって作ったの!?
どれが一番難しかった?ねー教えて!どうやって折ったの?

と質問攻めだった。

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そうだそうだ!この感じだ!
イメージしたものは、調べたり工夫したり試行錯誤したら作れるんだぞ!
手を動かせば自分で再現できるだよ!

そんなメッセージが伝わっていたらいいなと思う。創作することを私はとても大切にしたい。

<3>お願いと約束はちゃんと叶えてくれたという信頼感

<2>で書いた通り、以前から「お誕生日の時に、壁いっぱいにお祝いをしてほしい」というリクエストがあった。これは3歳の時のお祝いが嬉しい記憶として残っているからのようだ。

それもあって、今年もあれやってね!というリクエストだった。

去年は育休でできたけどさぁ…
今年は色々仕事が忙しいんだけどな…

という気持ちも30%ぐらいあった。だけど、今年もあれやってね!というリクエストに「わかった!」と答えてしまったし、案外その約束をしっかり覚えていて期待しているのもわかっていたので、裏切れない。やるしかない。

アンパンマンたちの折り方なんて知らないから、前々日の平日にyoutubeを見ながら4時間ぐらいかけて全15体を折った。(ちなみに苦戦したのは、バイキンマンとあかちゃんマンだ。なかなか難しい)

母ちゃん、ちゃんと約束果たしたぞ!

<4>毎日「優しいお母さん」にはなれないのでせめて特別な日だけは…

私は多分決して「毎日優しいお母さん」じゃないと思う。
笑顔がたやさず、常に子供の意思を尊重して、怒ったりしなかったら…
催促したりせず、子どものペースに合わせて待ってあげられたら…
自分の仕事の都合で予定を組まず、子どもたちの都合を優先させてあげれたら…

あぁ、今、「早くしなさいって言ってるでしょ!」という言葉、完全に怒りに飲み込まれてるわぁーと言いながら思うことも多々あるし、私の都合を押し付けてるよね、コレ…と思うことも多々ある。本当に多々ある。

全然優しくて怒らなくて子供優先の母親じゃない。そうなれたらいいなと思う反面、一緒に暮らして生きているだからそんなに子供主体では考えられないよ!やむを得ないよね…と思う弱さもある。

日常、あまり“優しいお母さん”じゃないと思うからこそ、特別な日はおもいっきり時間を費やして、ここぞとばかりに甘えさせることで帳尻を合わせようとしているし、あんたたちのことお母さんめちゃくちゃ愛しているよー!と伝えようとしている気もする。

こういうことをするのは、私の自己満でもあり、免罪符的な側面もあるなと自分では思っている。

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<5>安く早く買えるからこそ、“あえて作る面白さ”

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壁の飾りは百均でたくさん揃うし、お金をかければ、折り紙なんて折らなくていいと思う。ケーキだって買ってきたら小さなホールなら2000円ぐらい、単品でも500円くらいで揃うと思う。わざわざ作らなくてもいいと思うんだけど、手作りの良さってあるじゃない?って思っている。

食パンの耳をとって、カスタードクリームを手作りして、フルーツをカットして乗せたパンのようなケーキよりもっと美味しいケーキがあるけど、こういうのが嬉しいし美味しい!ママありがとう!という心を育てたい。

私が彫金とかしているからだと思うけど、自ら作ることに並々ならぬ思いがある。ちょっと歪なメロンパンナちゃんの顔やバタコさんの髪の毛のバランスを、作り方から話したり、もうちょっとクリーミーだった方がよかった?ううん、美味しいよ!というなんかそういう会話っていいじゃん。作るって楽しいじゃん!ああだのこうだの言いながら飾りつけるケーキって、記憶に残るじゃん!

そういう体験を子どもと一緒にすることで、今すぐどんな記憶が残るか、どんな感情がおこっているかはわからないけど、きっと彼女の中に何かが残っていて、それはきっとあったかい何かであったらいいなぁと思っている。

母親の自己満であり、そう伝わっていたらいいなという願望だらけ

このお誕生日会は、完全にママの自己満だと思う。こういう願いが伝わるといいな、何か彼女の中に残るといいな、沁みるといいな、大きくなったとき写真で思い出してほしいな、いう願いをもって、4歳のお誕生日会をやってみた。

クリスマスもあるし、そろそろ理解し始めた次女の誕生日もあるので、4月9月12月と非常に良いバランスで開催されるこの年3回のイベントをどれだけ私がやっていけるかちょっと自信もないけれど、できるところまでこういう意図を持ってやってみようと思う。

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私は今、自分のキャリアと家庭の両立を模索している。同じように、自分のキャリアと家庭・育児を両輪で頑張る方に、何か届くといいなと思ってnoteを書いてみた。


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