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自分の言葉で発信するのにひよったら読んでほしい”発信がもたらす価値”

個人で仕事をする、特にコーチングのような個人が個人を相手に仕事をする人が、自分の言葉でアウトプットする大切さを私なりに考察したい。

①ここにいる存在を知ってもらう

企業に勤めていたら不要かもしれない。「わたし」を商品としない仕事なら不要かもしれない。そうじゃない人には、「わたし=商品」がここに存在することを、売り場に商品があることを伝えなければいけない。店頭に商品を並ばせず、納品されたまま段ボールに入れておいてはいつまでも絶対に売れない。
まず、「私はここにいます!」と声を出すことは最初の一歩だ。

②自分の考えを知ってもらう

発信は、自分の言葉でないと意味がない。哲学者の言葉や良き格言にも勝てないのが、今、自分自身から発せられた生身の血が通った言葉だ。これほど強烈なものはない。

私は悔しかった、悲しかった、嬉しかった、腹がたった。
その時、感じた言葉はパワフルだ。世界中のどこか誰かの1人か2人に、ここにこういう考え方をする人がいてその人なんか面白い!って思ってもらうことが価値ならば、好き勝手に自分の気持ちを書きまくったらいいと思う。

③1000人のいいね!より2人のめっちゃいいね!を期待する

誰もが知る有名人や光り輝く肩書きがある人なんて、世の中の0.5%ぐらいだ。みんな誰も自分のことは知らない。
そんなことはわかっていても、つい1度の発信でバズることを期待してしまう。バズったりしない、そうそうしない。
1000人がいいねと言わなくても、出会ったことがない初めましての人が2人めっちゃいいね!と思われたらいいな、そう思って書く。そうやって紡がれた言葉は、命が宿る。実はそれが新しい縁に繋がり、もしかしたら仕事が生まれるかもしれない。そんな種になる。

④私見を好き勝手言っても、罰せられない

自分の意見を好き勝手に発信すると、誰かをものすごく傷つけるのではないだろうか?誰かを嫌な気持ちにするのではないだろうか、そんな気持ちが湧いてくることがある。特定の方を誹謗中傷したり、事実ではないことを事実のように偽証することは罪になる。当たり前だけどそんな発信は問題外。当たり前にしてはいけない。
そうではない、「私が考えること」「私はこう思った」という「私は〜」という「アイメッセージ」という奴は、言葉や音声にして世界に放つといい。幸い今の日本はそれができる環境にある。本当に、とても幸いなことに。
好き勝手に自分の意見を書けばいい。
そしたらきっと、思ってもいないところから、思ってもいない頃に、半年後・1年後・3年後… ほんといつの日か、その言葉が誰かを連れてやってくる。

⑤今に期待せず、未来へ宝箱を書くつもりになる

令和の時代のデジタルな文章は残る。今日この瞬間に書き残したこの文章が、1年後2年後3年後…新しい出会いに繋がると信じて書く。特にnoteの記事は、「作品」として残る。私のnoteも2年前に書いた記事がいまだにずっと読まれているものもある。だから今すぐバズらなくてもいい。1ヶ月後、半年後、急にバズるかもしれないし、1年後に読者に会えるかもしれない。

私の言葉なんて、発信する意味あるのかな?
誰も読んでないけど、無駄じゃない?

そう思った瞬間このnoteに戻ってきてほしい。

自分のことを知ってもらうために発信することは、店舗に商品として陳列すること。まず棚に並べることから始まる。そして少しづつPOPを充実さえて、いかにその商品が魅力的かを補足していけばいい。発信せずして始まらないけど、発信は基本的にノーリスクだ!

数字で見える応援が、日々の励みとなります。一瞬でも、あなたの人生に何かハッピーをお届けできたらこれほど嬉しいことはありません。