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私がそうであるように、あなたが持っているものも全部あなただ

私がそうであるように、あなたが持っているものも、全部あなただ。それぞれに抱える育った環境も、今の物理的環境も、趣味も思考も嗜好も全て。

王道でもないけど、マイノリティでもない。Specialでもないけど、Normalでもない。重大なコンプレックスは抱えていないし、人に言えない出生の秘密もない。特筆すべき家庭環境でもない。でも、ずっと、いろんなことに気を遣って生きている。

普通で安定で真面目で穏やかな家庭

うちの父親は普通の国家公務員だった。上級公務員じゃない普通の真面目な公務員。

小学生はバブル絶頂期。バブリーな旅行に行く友人はたくさんいたけど、うちは何も変わらず質素だった。崩壊後は、公務員なんていいわね、と言われて悲しむ母親の顔をたくさん見たので、親が公務員ってなんか言っちゃいけないんだ、と幼心に思った。

専業主婦の母親からは、ポケットに手を突っ込んでスーパーに行っちゃダメ!と言われた。万引きに間違えられたら、お父さんの仕事がなくなるよ!と。今でもスーパーでポケットに手は入れないし、万引きに間違われないように気をつけている。

“男社会に女がいる”という体験

大学生の時、42年ほど続く伝統的なサークルの初の女性幹事に棚ぼた事情が重なってなった。

例年通り【男が幹事をするよね】という慣習に習って継いだ男が、担って1週間で失踪した。散々探して見つからず、慣習を破って女の私が幹事になった。

20年くらい前。まだまだ”女”であることが、妙に揶揄されたりした。2年ぐらい”女性性”であることが面倒臭いと感じ、男なら楽なのにと、何度も思った。たかがサークル。小さな小さな井の中の蛙。でも当時の私には強烈な男社会で女でいる体験だった。

猛烈に働きアトピーが噴火する

鼻息荒く、男に負けるな!と入社した会社で、猛烈に不規則な生活で体を酷使する。退職したら軽度だったアトピー性皮膚炎が大暴走し始めた。身体中から体液が出て、とにかく汚い。

湿疹がひどくて、とにかく痒い。全身から負を排出しようとしているほど、どんどん出てくる感覚。顔が特に酷く腫れ上がり、人相が変わり、見るも無惨な変容だった。

まだ25歳。彼氏もいたし、おしゃれだってしたかった。でも化粧なんてできない、洋服も長袖しか着られない。鏡なんて見れないからオシャレなんてできない。

退職後、学び始めた彫金は、一人静かに黙々と作業できるから問題なかった。でも、お金を稼ぐ必要がある。当然、人前に出て仕事なんてできないので、テレオペをし始めた。約3年。本当に女として終わった闇の3年だった。

地方出身と学歴の誰にも見せたくないWコンプレックス

結婚して、福岡から東京にやってきた。九州では名前を言えば大体知られている大学だったけど、東京では誰も知らない地方の大学。福岡の西南学院大学卒です、なんて、慶応や早稲田…そんな人たちがわんさかいる前では言えず、大学の話になると小さく小さくなっていた。大したことはない。恥じるとこはない、と言われても、一流じゃない、本物じゃない。私は何者でもない。TOPにはどうしてもならない…なんて劣っているの。徐々に薄く薄く積もるコンプレックスと焦り。頭ではわかる醜い感情と小さい器。誰にも悟られなくない。ひっそり隠して、見ないように自分が気づかないようにやってきた。 

子どもがほしい。私には足りない。ほしいのにできない。

結婚したのは29歳。どんどん先に結婚していく友達はひたすらに羨ましく、出産報告は悔しくてたまらなかった。結婚はしたけど、子どもが授からない。すれ違うファミリーを見ては羨ましく思い、本屋のママ向け雑誌には嫌気がさしていた。ようやく授かるも初期流産。電車で赤ちゃんを抱っこしているママさんを見ると、涙が出てSNSの出産報告は気が狂いそうになっていた。

こんな背景があるから、今2人の娘がいることを言葉にすることで誰かが傷つくんじゃないかって気にする私がすごくいる。あの時の私と同じように、苦しんでいる人にとって辛い思いをさせるんじゃないか。辛い、悲しい、なんで私には子が授からないの?と思っていた私が、母親であることは、何かを差し置いてマジョリティな立場になったのか?だからこんなこんなことは言っちゃいけないし、思っちゃいけないんじゃないか。

いつまでもついてまわる。私は今どの場所にいるのか。ここでいいのか。大声じゃなく、小声でずっと。

実際に罵声も非難も浴びせられたことはない

ずーっとこんな感じだ。この話の中に、実際私を責め立てた人はいない。お前は自分勝手だな!と言われたことは、なくはないけど、数少ない。ちょいちょい薄い紙で傷つけた人はたくさんいたかもしれないけど、ナイフでさした人は誰もいない。ただただ自分で数種類のナイフを生成して、タイミングをみて自分で刺しているだけだ。

これは言っちゃいけないんじゃないか?誰かを傷つけるなじゃないか?失礼なんじゃいないか?

ぐるぐるとこの思考のプロセスを100周ぐらいして、もうなんだか目が回ってきた。

自分で刺すことにいい加減、目が回った

もういいじゃん!これは全部私のリソースだ!って大声で言えたらどれだけ自分が楽だろうって思う。

親が公務員で派手ではないけど苦労せずに育ててもらって、
男性ではない女性であって、ひどいアトピーがあるから肌は真っ白に美しくなくて、肌のことを言われるのはすごく嫌で、いろんな葛藤を経て親になった母親で。

ネガティブなことも、ポジティブなことも。これは〇〇です、って名前をつけて匿ったりせず、これは全部私の一部でリソースなんだ!なんか文句あっか!って私自身が開き直ったらどれだけ楽だろうと思う。

良きも悪きもなく、「そうなんだね」と頷くだけ

私自身が私が持つ特性や性質、育った環境、選んだ選択、掴み取ったもの、失ったもの、できたことも、できなかったことも、ぜんぶ良いも悪いもなく、自分のリソースだ。
資質、強み、それぞれの価値、自分らしく振る舞うために使えるもの、そうなんだぞ!と、大きな声で言える世であってほしい。

そういう風が楽らし、いいじゃん。
全部ひっくるめて私のリソースなんです!と言えるっていいよね!って思う。そう大きな声で言えたら、どんだけいいだろうって思う。とにかくガハハと笑いながら、生きてくしかなさそうだ。


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