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人生のおさらいと少しの近況報告

なんでここにいるのか。なぜここに流れ着いたのか。

そう不思議に思うことがある。

ここ1~2年ほど、ネット上では発言を控えていた。
それにはいろいろな要因がある。

薬が変わって、衝動性とインスピレーションがなくなった。
会社に入り、それ相応の生活基盤と常識を獲得した。程々の疲れと忙しさとともに過ごすようになった。

またTwitterは発言に伴うリスクが大きくなり、下手に何かを言うのが難しく感じられる。
「沈黙は金」といわれるように、SNS上で下手に何も言うよりも沈黙している方が良いと思うようになった。
(実際、何かを言おうとしてツイートしかけて、結局下書きとして寝かせることは何度もあった)

前にブログを書いたのがだいたい2021年の夏あたりで、
そこでネット上ではほぼ時が止まっているように見えるかもしれない。
ただ実生活の方ではゆっくりと時は進んでいる。

本当はさらっと近況報告をしたいところだが、
いきなり近況だけを取り出しても話しづらく感じる。

そこで半生を振り返る形で、その末尾に付け足す形で近況報告と代えさせてほしい。

人生のおさらいと少しの近況報告

(自分語り注意)

私は兵庫県で生まれ育った。
小中学校では暴力を伴う壮絶ないじめに遭ったが、なんとか生き抜いた。
高専に進学して伸び伸び過ごし成績も優秀だった。

20歳に進学のため大阪へ引っ越した。
旧帝大の憧れの大学で、華々しい人生が始まるはずだった。

3年生の時はただでさえレポートが鬼のように出る学業に加えて、サークルにも参加してひたすら忙しかった。
4年生の時は第1希望の研究室で、海外に行ける研究テーマを選んだ。それが運の尽きだった。

3年生の時以上に多忙な上に、当時の担当教員から叱責を受け続けた。
22歳でうつ状態と診断された。
夜な夜な研究室のソファに寝っ転がっては、声優ラジオをひたすら聞きながしていた。
実際に海外に行く機会を何度か与えられたことは不幸中の幸いだったが、3ヶ月の留学の半分はうつで引きこもっていた。

その後、実家に戻ったり大阪に帰ってきたり、
月一ぐらいでバーのDJイベントに行きDJごっこを始めたり、
インターンやバイトを転々としたり、
オープンソースソフトウェアのマニュアル翻訳をやったり、
暇なときに人文書を読みつつTwitterで議論(という名の喧嘩)をかましたり、
志高く社会課題や社会起業に興味を持ち海外ツアーやイベントに参加したり、
なぜか某R社主催の米国横断企画に受かったが自分以外が優秀すぎて絶望したりした。

5年後の2015年3月(27歳のとき)、大学院を退学した。

そこからは自営業という名のニートを始めることになった。
週1回、かろうじて専門学校の講師を続けた。
日中はうつで身体が動かず、直前に徹夜したりして苦しい思いをしながら4年弱続けた。

また少しはプログラミングの仕事を請けたりしたが、長続きしなかったり、納品する前にうつ状態が再発したりした。
とはいえ技術書を書いて出版するなど、華々しい面もあった。(それだけで食えるわけではなかった)

2018年11月頃(31歳)から、大阪の某ベンチャーに入り浸るようになり、
住居の拠点(いわゆるシェアハウス)としてもその社長宅にお世話になる。
この出会いが社会復帰が大きく進むきっかけとなる。

※余談その1。この少し前から大阪・江坂のライブバーで「推し」ができ、
頻繁へ通うことになる。そのライブバーも今では無くなったが・・・。

※余談その2。2017~19年頃にバーチャルYouTuberが流行りだし、貪るように追うようになった。
いちファンとしては .LIVE(旧アイドル部)、にじさんじ、ホロライブ・・・と追っていき、
今は774inc./あにまーれの大浦るかこさんにハマっている。
またバーチャルYouTuberを通じて大きな出会いをするが、これは改めてきちんと書きたい。

2020年7月から1年間、先ほどの社長のPJの一環として某社へ入社する。
短い間だったが、障害オープンで働けたことは自信となった。

2021年7月に千葉へ引っ越す。
理由の1つ目は、首都圏で就職のチャンスを広げるため。
理由の2つ目は、2019年3月から付き合い始めた彼女と近づくため。
付き合った当時は相手が北海道にいて、私は大阪にいた。このタイミングに千葉で合流できた。

同じ月からハローワークへ通い出す。
2021年9~12月に就労移行支援事業所(就労に向けて学習や面接練習などができる施設)に通う。
この前後に面接をいくつか受けた。

34歳。2022年1月から現職。
某IT企業の障害者採用枠に入り、おかげさまでほぼ休まず比較的元気に働けている。

よい職場に就職できたというハッピーエンドに至ったことは素直に嬉しい。
一方で自分がふらふらしている間に、大学時代の同期はおよそ10年以上の社会人経験を積んでいる。
就職してから、その事実と意味を痛感している。

薬について

2020年6月20日 大阪の某クリニックに転院した。
発達障害の権威として有名ながらも、次から次へ来る患者に対して的確かつ親身に対応する名医だった。

ここで双極性障害および発達障害の診断(ASDと軽度ADHD)、障害手帳の診断書を書いてもらった。

いま飲んでいる薬も、基本的にはこの先生の下で構成を固めていったものだった。

薬は「はたらく」ことにチューニングされていた。
つまり精神を安定させ、一定のパフォーマンスを出すような処方だ。

一方、なんとなくクリエイティビティが落ちていったような気がする。
文章が書けないし、突拍子もないことを思いついて実行するような勢いもなくなった。
(そういう事情や、仕事に関する心境の変化もあり、去年あたりからネットへの露出が少なくなったのだと思う。)

私は千葉へ引っ越すにあたり、2021年7月に紹介状を書いてもらった。それが最後の診察だった。
その年の12月、クリニックが放火に遭い先生は亡くなってしまった。(未だに信じられず、故郷を亡くした気分である・・・)

今は某SNSの友人の紹介があり、都内某所のクリニックに転院した。
薬の知識が豊富で明るく親身にお話を聞いてくれる先生であり、ここに着地できたのが奇跡的だった。

最後に

内容が内容なので「読みたくなかった」と思われる人も一部にはいるかもしれない。
ただ「読んでよかった」「近況報告してくれて嬉しい」と思ってくれる人のために、この文章を書いて公開したいと思った。

藤原 惟

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