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ノートの恥はかき捨て

旅先では、知り合いがいないので、恥をかいたところでその場限りですむ。また、旅の解放感も加わって、ふだんなら自制する恥さらしな行為も気がとがめない。

旅の恥は掻き捨てとは - コトバンク

倉下忠憲『すべてはノートからはじまる』(星海社)を読んで、実際にノートをいくつか作ったり使ったりしてみました。

ノートの恥は搔き捨て

この本のイチ押しポイントは「ノートを不真面目に使う」ことを推奨していることです。

ノートを不真面目に使うとは、ノートを真面目には使わないことです。(同書p.50)
どのようなものを選ぶにせよ、「一般的に役立つ」ものを基準にしないことです。(同書p.286)

個人的にはあんまり不真面目な感じに使えてないですが、とりあえず趣味のノートを一つ作ってみました。

無意識にYouTubeやSpotifyなどで楽しんでいたものをこうしてノートにまとめると、まず「自分の趣味」が明示化されます。自分でも忘れていたような動画を思い出したりしていました。今後も続けてみたいです。

ノートの恥は書き捨て

副題は原文ママです。

公開しないノートは自分だけの秘密基地なので、何を書こうが自由です。

冒険といえば、ノート作りは実利に寄与するだけではありません。自分なりの情報基地を、もっと言えば自分なりの秘密基地を作るような楽しさがあります。(同書p.295)

以前から書いている「ジャーナル」は、日記として使っています。当然、とても公開できない代物です。だからこそ「とりあえず何でも書ける場所」として機能しています。

また、なんとなくスマホを触ることの代替行為として、とにかく数学の本を書き写すということも今日から始めました。むしゃくしゃしたときに書くやつです。

このノートについては、途中でやる気が無くなってもOKとしています。「止める自由がある」というのが、大人のノートの良いところです。

なお数学の勉強法として「とにかく書いてから理解する」やり方は、「わんこら式勉強法」としてYouTubeで紹介されています。

noteの恥は搔き捨て

最後にノートの話からずれますが、なぜこの文章をnote(いまお読みの文章がある場所)に書いているのかを話します。

私はnoteを愛用していましたが、徐々にフェードアウトしていきました。理由はいくつかありますが、正直にいうと、noteというプラットフォームへの不信感を感じていたからです。この件については無かったことにできません。

一方で、ある方が「藤原さんのnoteが好きです」と言ってくれました。noteにはフォローの機能があり、投稿すればフォロワーへ通知が行きます。

悩みましたが、noteに熱心な読者がいるなら、ここに書きたいと思いました。

ちなみに別のブログもありますが、使い分けはまだ悩んでいます。

noteに限らないですが、ウェブに自分の文章を出すことは、多少恥ずかしいものです。

ものを書いても、下手をすれば炎上もする世の中です。むしろ恥を感じる方が、自制心があってマシかもしれません。そう思って「恥は搔き捨て」を選び、このnoteを書いています。

藤原 惟

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