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全てに繋がるもの。

仙台に桜の季節が来た。
こんなに咲いているのに、昼前の公園は数えるほどしか人が居なくて、
桜の木の下に自転車を停めて
石のベンチに腰掛けて
風に揺れる桜をただ感じてた。

花京院スクエアの公園
ほぼ満開。

桜は
どうしてこんなにも心を震わすのだろう。

魂が揺さぶられる。
涙が流れる。
何故?と、思うが答えは無い。
考えるな、感じろ。
と、なにかの台詞であったな。

否応なしに流れ込んでくる桜の花の何かは、毎年、私を泣かせる。

「それは、本質に触れるからですよ。」
伝統的オステオパシーの治療のあと、私は泣くときがある。
理由は分からない。
大きな感動の波と、
平安としか言いようのない安らぎと、
知らないのに知っている懐かしい感覚が波のように胸にあって、
魂が確かに、私の胸の中の、この場所にあって、
それが蜜蜂の羽のように震えて細波をたてる。
としか、表現出来ないんだけど、
言葉で表すと違うものに変換されてしまう。

「言葉に出来ないですよね。
言葉にしなくて良いのです。」

そう。それ。!
としか言えないものが
こころ、身体、魂を包み、涙が流れる。

桜の花の下には、
それと同質のものがあるのだと、今日は感じて帰ってきた。

「抵抗しない事です。あなたも。わたしも。」
「人間界、というエリア。
その向こうに、自然界、というエリア。
その向こうにある世界があります。
私たちが行けるのは自然界迄です。
その向こうの界へは
"招かれる"
のです。
抵抗をしないことです。」

伝統的オステオパシーに通い始めて、施術後に先生と様々な話しをする。

正確には、オステオパシーの哲学を教えて貰ってるような感じ。
まだ知らないこと分からない事も多いが、
例えば、ネガティヴケイパビリティはこの伝統的オステオパシーのようだと思うし、
満開の桜の木の下で時の無いような時を過ごすのも、
伝統的オステオパシーと同質だと感じる。
そして、フラワーエッセンスも、同質のものだと確信する。

人生、流れるままに。
ひとつ手放すと、新しい扉は自動的に開く。
何が正しくて、何が違うとか、そんなこと考えるほうが苦しみを産む。
それよりも、
いま、私は何を感じているのか、
こころは自由であり、光を浴びて風に揺れる美しい桜の中に、永遠と刹那と生と死と本質(エッセンス)を見る。

私は知らなくても、私の魂はそれを知っている。

その場所から始まり、
その場所で終わり、
季節は巡り、
春になり、芽吹き、花は咲く。

ありがとう。桜。
今年も逢えて嬉しい。



トラディショナルオステオパシー内田治療院




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