月泉庵

ようこそおいでくださいました。 東京都内のお寺を中心にときどき神社、たまに博物館や美術…

月泉庵

ようこそおいでくださいました。 東京都内のお寺を中心にときどき神社、たまに博物館や美術館などを鑑賞したことなどを書き留めていきます。 いずれは古地図片手に都内を巡るため絶賛勉強中です。

最近の記事

亀戸天神の藤

こんにちは。 昨日は行楽日和でしたが、今日もなんとかお天気持ちましたね。 なので、今が見頃ということで、行ってきました。 亀戸天神社。 ちょうどお昼ごろ、大勢の人で〝ごった返し〟てました(^^; それだけ、皆さん考えることは同じなんですよね。 桜同様、藤もはかないですからね。 亀戸天神社は昔から「藤の名所」で、歌川広重も『名所江戸百景』で「亀戸天神境内」という絵を残しています。 この時代の橋は、こんなにすごい〝太鼓〟橋で描かれていますが やはりいまでも(鉄筋コンクリー

    • 古文書解読検定の結果

      こんにちは。 今日はお彼岸のお中日。 お天気も良くて、というか午後に関東地方は☔マークがついていて一体どうなることやら… ここ最近の気候・気圧の変化についていけず、寝込むほど体調不良が続いていますが、皆さんはいかがですか。 体調崩していたりしないでしょうか。 健康第一です。 さてさて。 先月だったか、こちらで宣言した「古文書解読検定3級」の結果が届きました。 御覧の通り… 不合格でした。 3級は、毎回合格ラインは変動しますが、今回は20点満点中4点が合格ラインでした。 私

      • 蔵前神社

        こんにちは。 今回は「蔵前神社」です。 お邪魔した時は1月も末だったせいか、ひっそり静かでゆっくりご挨拶させていただきました。 神社の歴史を紐解くと… 時は元禄6年(1963)8月5日(江戸幕府第5代将軍綱吉の御世)、山城国(京都)に鎮座する石清水八幡宮より勧請されました。 以来、江戸城鬼門除けの守護神ならびに徳川将軍家祈願所の1社として篤く尊崇されました。 しかし、創建39年後に類焼し、浅草三嶋町に遷されましたが、その12年後の延享元年4月15日に元地である蔵前(八

        • 徳大寺

          こんばんは。 今回は徳大寺です。 上野・アメ横に鎮座するお寺です。 え?こんなところにお寺??と思いますが なんと、400年も前に創建されたといいますから驚きです。 江戸時代初めの寛永年間に慈光院日遣(にちけん)上人によって創建されました。 正式には、日蓮宗妙宣山徳大寺(みょうせんざんとくだいじ)です。 仏教を守護する「大摩利支尊天」を奉安することから、摩利支天徳大寺とも言われ、下谷広小路(現在の上野広小路)に位置したことから、「下谷摩利支天」とも呼ばれています。 聖

        亀戸天神の藤

          古文書を読めるようになるために

          こんばんは。 日付が変わりましたね。 暖房をつけていても部屋がうまく暖まらず、着ぶくれでPC叩いています。 寒いですね~(*o*) さてさて。 博物館や美術館、または個人的に芸術作品を鑑賞する機会が増えると 必ずといっていいほど「解説」があります。 学芸員の方が作成した解説書であればワープロ文字で「楷書」で書かれていますが、実際作品の中に文字が書いてあるとほぼ「くずし字」なんですよね。 割と作品よりも解説をしっかり読む方で、作品自体どんな感じだったか覚えていない時が多々あり

          古文書を読めるようになるために

          野見宿禰神社

          こんばんは。 昨日の雪で東京は大混乱になりましたが みなさんは如何でしたでしょうか。 帰宅時間頃から酷くなったので、大変でしたよね… 私は逆に「早く帰りなさい」と言われたので とっとと帰宅しました(苦笑) さて。 今回は、両国にあります『野見宿禰神社』です。 まず、『野見宿禰神社』って何? と思ったかもしれません。 両国、と聞いてピン!と来た方もいらっしゃるかもしれません。 そう、「相撲の神様」を祀る神社です。 創建は比較的若く、明治17年(1884)に高砂浦五郎をは

          野見宿禰神社

          国宝 雪松図と能面✕能の意匠

          こんばんは。 今月に入り、展覧会3件行きました。 しかも、終了間近が2件(^^; 急いで行ってきた、と言う感じですかね。 今日は、日本橋にある三井記念美術館で開催中の 「国宝 雪松図と能面✕能の意匠」を鑑賞しました。 子どもの頃から古典芸能に興味があって 歌舞伎は高校生の頃、毎月歌舞伎座に通ってました。 アルバイトもしていなかったのに、よくお小遣いで見に行けたな… と、今となっては不思議な感じなんですが(^^; (亡くなった十八代目勘三郎丈や十代目三津五郎丈が30代の頃

          国宝 雪松図と能面✕能の意匠

          令和も6年になって思うこと

          こんばんは。 年が改まり、1月も終わりに近づいてきてしまいました。 記事のUPもせずほったらかしにしてしまい・・・ あまり出かけることもせずちょっとだけ「引きこもり」状態だったんですが 外出した時はなるべく神社仏閣にお参りに行くようにしていました。 なんだか言い訳にしか聞こえないと思うんですが・・・ 一応、このページは「お寺、時々、神社」で 記事を書いていこうと決めて始めましたが 今後は お寺、時々、神社、たまに、芸術鑑賞 と1項目加えて、のんびり書いていこうかなと画策

          令和も6年になって思うこと

          番外篇② 飛鳥寺

          こんにちは。 だいぶ間があいてしまいました。 毎日暑いですが、皆さんは体調管理はしっかりされていますでしょうか。 水分・塩分補給はもちろんのこと、睡眠も大事だということなので しっかり睡眠を取りましょう。 今回も、昨年訪れた奈良・飛鳥地方に鎮座する「飛鳥寺」です。 おそらく前回も書いたと思いますが 飛鳥地方は初めての地だったので 見るものすべてが「新鮮」でした。 飛鳥寺は創建は蘇我馬子で、蘇我氏の氏寺でした。 飛鳥寺と言えば、もちろん ご本尊の飛鳥大仏(釈迦如来像)、

          番外篇② 飛鳥寺

          番外篇① 飛鳥坐神社

          こんばんは。 今回は、番外篇として、昨年訪れた奈良・飛鳥地方に鎮座する「飛鳥坐神社(あすかいますじんじゃ)」です。 創建は定かではない とありますが、日本書紀によれば 大国主神の第一子である八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)は国譲りの際、一番に信頼のおける神様として大国主神より相談を受け、結果、国譲りがなされ、その後、八百万の神々を率いて、天の高市(現在の飛鳥)に鎮まった。八重事代主神は統率される神様、いわゆる首渠神(ひとごのかみ)として鎮座されている。 (飛鳥坐

          番外篇① 飛鳥坐神社

          吉原神社

          こんばんは。 かなりご無沙汰ぶりの投稿となってしまいました。 申し訳ありません。 今回は吉原神社です。 この吉原神社は、「吉原遊郭」とともに歩んできた神社です。 吉原遊郭は、元和3年(1611)に幕府の許可を得て日本橋芦屋町(現・日本橋人形町周辺)に江戸市中に散在していた遊郭を集めたことに始まります。 しかし、吉原が江戸の中心地になってしまったため、明暦3年(1655)に現在地である千束村に移転しました。 以後、日本橋芦屋町にあった頃の吉原を「元吉原」、移転後の吉原を「新

          吉原神社

          愛宕神社

          こんにちは。 今回は愛宕神社です。 創建1603年。 江戸に幕府を開いた徳川家康の命により、防災の神様として祀られました。 慶長15年、庚戊本社をはじめ、末社仁王門、坂下総門、別当所等将軍塚の寄進により建立されました。祭礼などには下附金を賜るほど、当時の瀑布の尊崇は篤いものでした。 その後、江戸大火災で全焼してしまいましたが、明治10年9月に本殿、幣殿、拝殿、社務所の再建がなりました。 大正12年9月1日、関東大震災に、昭和20年5月24日の帝都大空襲により太郎坊神社を残

          愛宕神社

          神田神社

          こんにちは。 今回は神田神社です。 東京都心108町会の総氏神様で、神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、そして東京の食を支える市場の発祥地の氏神様として、青果市場、魚市場の人々からも篤く崇敬されています。 社伝によれば、天平2年(730)の創建で、約1300年の歴史を持つ神社です。 はじめは、現在の千代田区大手町の将門塚周辺に鎮座、延慶2年(1309)に平将門公を御祭神としてお祀りしました。 その後、慶長8年(1603)に徳川家康公が江戸幕府開府、江戸城を拡張する際、社地

          神田神社

          水天宮

          こんにちは。 今回は水天宮です。 水天宮の総本宮は福岡県久留米市にあります。 文政元年(1818)久留米藩の九代藩主有馬頼徳公が、領地久留米水天宮の御分社を三田赤羽の有馬藩邸に建てたのが創め。明治元年有馬邸が青山に移ると共に青山へ、さらに明治5年現在地に移った。 という、短い間にあちこちお引越しされているお社ですが 最終的に人形町に落ち着いたんですね。 こちらの水天宮は水と子供を守護することから 水難除け、漁業、海運、農業、水商売、または安産、子授け、子育ての信仰が

          茶ノ木神社

          こんにちは。 今回は茶ノ木神社です。 人形町の路地を入ったらひょこっと現れる、伏見系のお稲荷様です。 江戸徳川時代、下総桜の城主大老堀田家の中屋敷に、守護神として祀られました。お社の周囲に巡らされた土堤芝の上に丸く刈り込まれた茶の木がぐるりと植え込まれ、芝と茶の木の緑が見事であったと伝えられています。 中屋敷内はもちろん、周囲の町方にも長年火災が起こらなかったことから、いつの頃からか誰言うとなく「火伏の神」と崇められ、堀田家では年に一度初午祭の当日だけ開門し、一般の参拝

          茶ノ木神社

          しばられ地蔵

          こんにちは。 今回は〝しばられ地蔵〟で有名な南蔵院です。 正式名称は「業平山東泉寺南蔵院」といいます。 伊勢物語で登場する在原業平が東下りの際、隅田川で舟遊びをした時、船が転覆して多くの人が亡くなってしまいました。 業平はその人々を弔い、像を刻み村人に与え、法華経を写経して塚に納めました(業平塚)。 その傍らに南蔵院が創建されました。そこには橋がかけ渡され、業平橋と名付けられました。 貞和4年(1348)林能法師により開創されました。 (南蔵院ホームページより抜粋拝借)

          しばられ地蔵