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形を変えてゆく、ということ


いまはスキズを見ていることが辛いかもしれない。

応援するようになって初めて、そう思う瞬間がありました。


昨年のエントリで、応援しているStray Kids(以下スキズ)が苦しさを感じているだろう状況に対してファンとしてどう向き合えばいいのか、自分なりに考えたことを認めました。

その結論は、すごくシンプルに言えば「彼らの作品やコンンツをめいっぱい楽しみ、自分なりに応援すること」でした。
でも今年の春から私は体調崩し、それからスキズを応援する元気が出ないままでいました。
回復してきた今ならば、元気がない時こそスキズの曲やパフォーマンスを享受し力に変えて欲しい、と過去の自分に対して思います。
でもその時は、それがどうしても難しかったのです。

それでもうっすらとスキズの情報が耳に入ってくる中で、あるメンバーが「以前と比べて元気がない」とファンに心配されていることを知りました。

自分に元気がない状況だったからこそ無性に、彼のことが心配になりました。
少しでも彼が元気がないように見える瞬間をふと目にすると、自分の心がとてもざわざわするのを感じて。ほんとうに勝手ながら益々スキズを遠ざけてしまっていたのです。

もちろんそれだけではなく自分の中の色々な要因が相まって、今はスキズを見ていることが辛いかもしれない、そう思う気持ちから抜け出せずにいました。




そのまま迎えてしまった9月2日。名古屋公演1日目に入ることになりました。
回復しているだろう自分に期待して応募したチケットでしたが、現実はそんな甘くなく。
病床から一縷の望みだけを頼りに新幹線に飛び乗って、緊張で心拍数は190を叩き出しながら開演を迎えました。

ちょうど半年ぶりに生で見るStray Kidsは、それはそれは格好良くて。
心のどこかにあった「万全の体調で見られていたら」という思いも、ライブを見ながら「今だからこそ見られて良かったんだ」という思いに形を変えていきました。

そして何より、心配してしまっていたメンバーに対しての気持ちが完全に変わったのです。




彼は純粋に、とても輝いていました。

パフォーマンスや喋り方は、確かに以前とは違って見えたけれど。
以前と違う種類の宝石になったようで、形を変えて煌めきはむしろ増していて。 

この目で見た新しい彼は、たただだ、眩しかった。

その光を浴びた時、勝手に以前と比べて心配するなんて私自身のエゴだったのだと痛感しました。
自分の弱った心が、彼の変化を受け入れられなかっただけなのかもしれないと。

人は、変化することを恐れます。
そして人の変化を受け入れることも、同じくらい難しいのかもしれません。




つい最近、友人とそれぞれの病について話す中で彼女がこんな言葉をかけてくれました。

『なんか私たちって'良くなる'とか'治る'とか、元に戻る方向じゃなくて、'進化してる'っていうのがぴったりだなと思った!!』

この言葉で全てがすとんと、腹に落ちた気がします。

ただ変化するだけでなく、進んでいる。

進化している、という表現がスキズにも当てはまると、いまは確信に近い気持ちがあります。

もしかしたら一時点では横ばいのように、或いは後退しているかのように見えるかもしれない。
でも引きで見たらきっと螺旋を描くようにして、私もスキズも、一歩一歩着実に進化している。
前進する大きな流れの中にいる。

まるで植物が種から根を張り、芽を出すように。
つぼみが花咲くように。葉が色づくように。
どんな風に進化してもそれぞれ違う良さと美しさがあること。
彼らがこれまで積み重ねてきた歴史が、それを物語っています。




もちろん、時にはどうしても体調を心配してしまうシーンもあります。
でも、彼らが彼らの選択でそこにいて、ほんとうに休みが必要な時は休めているはずだと願い、私たちの前に立ってくれていることを有り難く応援したいといまは思っています。



明後日は、リノさんの25歳のお誕生日です。
去年の誕生日とはまた違う「進化」したリノさんをいま目撃できていることを心から嬉しく思います。

どんな形でもリノさんが健康で幸せでありますように。そしてこれからの一年もリノさんが積み重ねてゆく「いま」の形を、色々な進化を、ファンとして見ることができますよう、願っています。



2023年10月23日 リノさんのお誕生日に寄せて

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