宿題代行

 うちは狭い。唯一くつろげる広さがあるのが居間である故に中学生の娘でさえそこにいることが多い。その為、学校の課題など何をやってるか必然的にわかってしまい、修学旅行で鑑賞した能の舞台の感想文を書いてるのを知った。ただ、ノート半ページまで埋めたもののそこでペンは止まり悩みに悩んでいるようだった。
 ノルマはノート1ページ。さすがにそれは中学生にとってハードルが高過ぎる。そんなもの大人でも書けないじゃないかと憐れみ、代わりに書いてやると提案した。勿論俺は現地に行った訳ではない。能も観たことがない。それでもyou tubeやネットを駆使して雰囲気くらいは掴むことができる。そんなつぎはぎだらけの見識により文章を作り出していったのだった。

 夕刻に迫る昼下がり、ホテル杉長を出る。四角く模られたその建物は木目のような色彩に適度なくすみがあるのが京都の町に調和している。が、これから観覧に行く「能」は見た目の雰囲気ではなく伝統芸能としての体験であった。今まで触れたことのない、まるで想像もできない世界だった。
 ところがホテルを出てほんの数分歩くと目的地、大江能楽堂へたどり着いた。木造建築の立派な造り。中へ入ると屋根の掛かった舞台がすっと伸びていた。木目の板を張り巡らせた床はどれだけ磨きをかけたのか天井のライトをよく反射させていた。そしてその行きつく先には松の絵が描かれた壁がそびえたっていた。
 その舞台を取り囲むようにわたしたちは席に着く。開演を待つ間気持ちを落ち着かせる。それは未知との遭遇への緊張感。よく言えばそうなるが、そもそもこういう格式ばった場所ではおとなしくしないといけないというしきたりに従ったまでである。別に誰にたしなめられた訳でもない。ただそういうものだという認識があっただけである。それだけに特に気乗りしてたわけではない。何の興味もなかったというのが正直なとこだ。
 皆が黙り込みそれぞれの身妙な動きでさえ音が目立つようになった時、数人の演奏者が登場する。無言のまま正座し太鼓が奏でられ笛の音が浮遊する。トン、トンという太鼓は一定のリズムを刻むもそこに調子を合わせない太鼓も響く。笛は浮遊する。太鼓は無秩序。そこは時間の流れを漂うかのよう。水面が静かに波紋を広げるように響き渡る。そう、無秩序と思われてたものは調和の取れた世界を作り上げていた。その演奏に合わせるように囃子が始まるのであった。
 お経のような歌。何を言ってるのかさっぱりわからない。日本語であってこれは現代人が理解できる言葉ではない。理解できないからこそ古典の授業なんてものがある。どこかに字幕でも出してくれないだろうか。いや、これは映画じゃないのだからしょうがない。そう、これは外国音楽とでも思っていればいいのだ。
 しかし、これは列記とした日本の芸能。どこをどう理解したらいい。果たして昔の人はどう解釈をしていたのだろう。まさかこんな抑揚のない口調で普段から会話してた訳ではないだろう。だとすると当時の人もそう簡単に理解できたものではないのではなかろうか。そんな想像をしてしまったのだった。
 今よりもっと時間のゆったりしてた時代。電車も車もなかった時代。移動は徒歩。そんな時代に栄華を誇った芸能。つまりは時間に追われることのない時代だった。人々の非日常を感じられる体験。それは簡単に理解できる言葉ではなく難解さも必要だったのだろう。どこでも聴けない言葉によりどこでも聴けない音楽。それが粋だった時代があったのだ。その当時、能を聴いた人達はどんな高揚感をこの場で感じてたのだろうと想像をめぐらせた。

「これって感想文というより小説じゃない?」
 え、そうか、と思いながらもそうとらわれる野茂無理のない面もある。ただ、時数を稼ぎつつそれなりの内容を持たせようとするとどうしてもこうなってしまうのだ。
「ネットの写真や動画だけでよくここまで書けるわ。凄い、凄いけどこれそのまま写したら絶対に自分で書いてないってバレるから無理だわあ」
「え、そうか?」
 自分で書いてないっていってもまさか親が書いたとは思わないだろ。修学旅行に行った人しかわからないはずなんだから。そんな理屈が浮かんだものの、実はせっかく書いたんだから無駄にしてほしくなかったというだけだった。
「だって、わたしもう半分も書いちゃったんだから全部写す訳にいかないよ。でも参考にはなったわ」
 そう言って再び筆を進めだした様子にホッと胸を撫でおろす。おお、一応は役に立ったようだ。それでこそ俺もやった甲斐があったというものよ。
中学生にもなって親が課題に手を貸すってあり得ない話かもしれないが、小学生の頃手を貸したことなんて一度だってなかった。ただ、中学はあまりにも理不尽な課題が多い。訳も分からず聴いた能の感想なんか書ける訳ないじゃない。こんなことに労力を使うくらいならもっとべつのことをした方がいいと思うのだ。
翌日、娘に続き書けたのか問うたとこ、できたということだった。
「同じことを言葉を替えて何回も何回も書いたけどね」
 まあ時数を稼ぐにはそれは有効だが、そんな文章を綴ることになんか意味あるんだろうか。俺が中学生だったらそんな文句ばっかり言ってそうだ。いや、当時から俺は反抗ばかりしてたのを思い出したのだった。

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