霧隠ラントと蠍(さそり)

皆さんは「銀河鉄道の夜」を知ってますか?そうです、宮沢賢治の代表作です。貧しい学生であるジョバンニが銀河を走る鉄道に乗る、というあらすじです。作中には燃え盛る蠍の炎が登場します。以下青空文庫からの引用です。

どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。って云ったというの。そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。

私はこのシーンに41話の霧隠ラントを重ねてしまいます。霧隠ラントは41話で、地球を守る為に隕石を全身で受け止め、そして焼死します。まさに「みんなの幸」のために身体を使い、そして真っ赤に燃え上がって死んでいったのです。また、この後霧隠ラントは死後の世界でエルゼメキアから力を貰い、復活します。復活した彼の姿はDSゾディアックといい、黒に赤を基調としたHEROでした。今まで霧隠ラントが変身してきたのはミストシャドウ、DSギャラクシーと、黒に緑を基調とした姿でした。何故唐突に赤が出てきたのか。恐らくはゾディアライアの要素だとは思いますが、私は燃え盛る蠍の炎の象徴だと捉えています。「みんなの幸」のためにその身体を差し出した霧隠ラントは、まさに「銀河鉄道の夜」における蠍のポジションなのです。
そもそも最初期の霧隠ラントの目標は「宇宙人を根絶やしにすること」であり、そこに地球を守るという観点はありませんでした。マゼラ登場により流れるようにして地球を守る事にはなりましたが。自身の復讐のために戦っていた霧隠ラントが地球のためにその身を差し出したのは大きな変化であり、まさに「まことのみんなの幸のため」の行動です。自己犠牲、とも言い換えることができます。
霧隠ラントは、自分の生には頓着しないキャラでした。自身の存在が消されそうになった時も「奴らを倒せる戦力をこれだけ遺せたのは上々」と言い、エルゼメキアに処刑されそうになった時も恐怖も絶望も見せず、ただ淡々と目の前の事実を受け止めているキャラでした。彼の中では自分の命よりも、異星人を倒す事の方が優先順位が高いのです。自分はどうなってもいい、というスタンスでした。自己犠牲の精神の塊ですね。しかしそれは「異星人を根絶やしにするため」であり、決して「地球を守るため」では無かったのです。そんな彼が地球のために、人類のために身を差し出したことは1番の成長と言えるでしょう。

蠍の炎はその後も「まっ赤なうつくしい火」になって「よるのやみ」を照らしながら燃えているのです。

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