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#35 小児性愛という病―それは、愛ではない

今回は、斉藤章佳さんが書かれたこちらの本を読みつつ感じたことを話していきます。トラウマがある方は、読むのをご遠慮いただければと思います。

小児性愛障害、つまり性の対象として子どもが含まれる障害のことを扱っているこの本。性加害者である小児性愛障害者の治療に向き合ってきた、精神保健福祉士である斉藤さんが書き記しています。

まだ途中までしか読んでいないのですが、たくさんのことを感じ、考えています。なかでも第7章を読みながら、苦しくなり涙しました。

そこに書かれていたのは、性加害をしてしまった小児性愛障害者の一人の男性が、再犯してしまうのではないかと自らを恐れ、泣きながら兄に助けを求めたというもの。

小児性愛障害は、性癖ではなく精神疾患だそうです。性加害を起こした多くの人が、生まれ育った環境になんらかの苦しい状況があり、偶然に出会った児童ポルノがその苦しい現実からの逃げ道になってしまった。そんな統計が出ているとのこと。

なりたくてなったわけじゃない。自分だってやめたいのに、体が勝手に動いてしまう。自分ではどうにもできない恐怖。自分に向き合っていかなければならない責任。

私は自分に重ねながら読んでいました。人への恐怖や不安、欲求。自分で自分をコントロールできなくなる感覚。なりたくてなったわけじゃない。それでも自分に向き合っていかなければ、現状は変えられない。誰のせいにもできない。

愛着障害からくる複雑性PTSDを持つ私の場合、依存傾向があり、また解離に近い感覚もあります。不安障害の面で言っても、突然訪れる強い不安は、自分でどうにかしようにもなかなかうまくいかず苦しむことも多い。

どうしようもない。でも誰のせいにもできない。向き合っていくしかない。向き合うことも苦しい。

私の場合は誤解を恐れずに言えば、自分事で済む話ではあるんです。依存して迷惑をかけることを除けば、一人で勝手に苦しんでいればいい話。

でも、小児性愛障害は性加害を起こしてしまった場合、必ず被害者という相手が存在します。自分事では済まない。誰かに一生の傷を残してしまう。だからこそ一生をかけて自分と向き合う責任が生まれる。

苦しさは比較するものではないけれど、私よりもずっとずっと苦しいだろうと心臓がぎゅっとしてしまいます。

さらには世間の声も降り注ぎます。精神疾患だということも、まだまだ認知はされていないなかで、人間じゃないような扱われ方をすることも多いでしょう。

「精神疾患を免罪符にするな」という意見もわかります。「だから許される」とは私も思いません。でも、知ることは何より大事だと思うのです。起きた出来事だけでなく、なぜそれが起きたのか。根っこを見なければ、防ぐことも難しくなります。

以前にも話していますが、「環境がそうさせる」ということがある、と私は思っています。苦しいときにそばにいた人がどんな人だったか。身を置く環境の「常識」がどのようなものだったか。それを知らずして批判するのは、なんとも簡単な手段だなと感じるのです。

かくいう私も被害者の一人でもあります。男性が怖くなり、人が怖くなり、夜が怖くなり、外に出られない時期がありました。10年以上経った今でも、あのときと同じリズムの足音を耳にすると、恐怖で鼓動が速まります。

だから、被害者の方にむけてこの話をしようとは思いません。加害者を擁護するような意見にも見えてしまうから。

ただ、被害者が一人でも少なくなるように、知っていきたいと思っています。社会を変える、なんて大きなことは言えないけれど、私自身がまわりの人を一人ずつちゃんと見られるように。私は私一人の人生しか生きられないけれど、本や動画、そういったものからいろんな人の人生を覗いて、知っていきたいのです。


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