見出し画像

たんじょうびおめでとうって


 「お誕生日おめでとう」はシンプルで根源的な祝福の言葉だと思う。つい先月の四月十七日は私の誕生日だった。語呂合わせをするならよいラッキーセブン。今年は幼馴染やSNS上のフォロワーなど、何人もの人にお祝いの言葉をいただいて、自分でも当日の大学帰りに花束とケーキを買って祝った。
 人生はなるようにしかならない。けれど、こうして生まれてきた日を祝える自分がいることを嬉しく思う。

 フォロワーの方から誕生日に近年稀に見る量の贈り物をいただいたので、ここに記録しておきたい。私はよく落ち込むし、かなしくなるとかなしかったことばかり思い出して、うれしかったことをすぐに忘れてしまうから。いつでも忘れずに取り出しておけるようにしたい。きっとまたうれしくなれるように。



※これから自慢をします!
※見たくない人は最後まで飛ばそう!






じゃじゃーん!!!!!!!

前代未聞の量の誕生日プレゼントこと
私向けに選書してくださった本たち

 Amazonから届いたやけに大きい紙袋を開けてみると想定の十倍の量の本が次から次に出てきた。予想外のサプライズにワーとかアラ〜等のうれしい悲鳴が出て、大学が始まってからここしばらく大きな声を出していなかったことに気づいた。
 一年ほど前に某書店の一万円選書企画に応募したところ、どうも期待はずれのずれたセレクトだった。そのことを当時書店に勤めていたとりあえずビールさんに話したら、「私が今度きよなるちゃん向けにセレクトするね」と言ってくれたことがあった。その話を忘れずに私向けに選んで送ってくれたことがうれしかった。
 最近発売された話題の翻訳小説から日本文学、詩集、セルフケア、ジェンダー批評、論考雑誌、おすすめしてくださった作家の小説とバラエティ豊富でうれしい。大事に読みます。

 重ね重ね本当にありがとうございます。今度お礼をさせてください!!
何はともあれお元気でいてくれるのが何よりうれしいです。いつかはバーでご一緒してお酒を飲みましょう!!!


じゃじゃーん!!!!!!!
その2

お土産の詰まった玉手箱。
一目でわかる、センスがすごいぜ

 同人誌の表紙を作る際にお世話になったフォロワーの方に、お礼の気持ちを込めての京都土産や北海道名物のイチオシお菓子を詰めたダンボールを一箱送ったのが今年の一月だった。
わらしべ長者かという具合にグレードアップして帰ってきたのが今月のことだ。

 届いたダンボールの蓋を開けると、ふわりと嗅いだことのない香水のにおいがした。世界地図のプリントされたシンプルな封筒、のし紙と水引風の飾り紐がかけられた箱、カラフルな紙袋。それから、枝枝を風にしならせながら青天に突き立てる冬木の写真が挿しこまれ、十字にリボンがかけられた小包みが目に飛び込んでくる。その下には地方限定味のカップヌードル、その隙間からぴょんと飛び出た光ファイバーのような透明の線を引っ張ってみると、正体は寿司屋で見るようなあざやかなサーモンの飴細工だった。おまけに仄かに香水のかおりがするミニチュア封筒まで出てきたのだ。四次元ポケットかもしれない。
 リボンを一度ほどけば元に戻らないし、包み紙を破けば元に戻せないので、そうっとそうっと包装を剥がしていく。のし紙と赤い水引のかけられた箱をそっと開いて、梱包材を取り出し、薄紙をめくると、ミルクガラスのような波うつ空色の縁取りのある、ガラス製の見事な器があらわれた。全体は南の海のように緑がかって透きとおり、ずんぐりした脚がついていて、ちょうどアイスクリームを盛るのに良さそうな塩梅だった。脚の裏に花のような紋様が彫り込まれているのを見てひゃあ、となる。こんなに繊細できれいな、脆いものをうっかりして壊しちゃたまらないとそっとしまい込んで元に戻す。
 冬木の写真の挟まれた小包を前に、せっかくかけられたリボンを解いてしまうかしばらく悩んで、結局開けてみることにした。紐をひいてほどき、飾られた写真を取りのけて、糊付けされた柔らかい包装紙をそっと破くと、二冊の文庫本が薄い紙でまとめられていた。二冊とも、送ってくれた方の興味関心が見える贈り物でとても嬉しかった。

 きれいな紙袋の中身は、真っ赤な紙箱に入った大きなケーキだった。フォロワーの方のお気に入りの、すこし大きなケーキを送るよと通話で聞いてから、どんな見た目か、味や香りを夢想し、日毎に思いを募らせたものだ。夢にまで見たケーキがついに目の前にある。
 そのケーキといえば、後日家族で山登りをした日の山頂でいただいた。晴れた空の下で切り分けたフルーツケーキにはラム酒漬けのレーズンや鮮やかなドレンチェリーがぎっしりたっぷり入っていて、我が家の全員に好評を博していた。バターの香りにラムの風味が合間ってたいへん美味だった。

 ところで、香水を人に贈っていただいたのは初めてだった。シンプルなミニチュア封筒の表に印字されたタイトルで検索してみる。セルジュ・ルタンスというフランスのブランドの「ベルリンの少女」という香水らしい。公式ホームページには"血と夜と雪と恐怖と栄光からつくられた香り" とある金属製のバラをイメージしているそうで、説明文を読むだけでもロマンチックで美しい。お守り袋のように糊付けされた封筒を開けるか否か、例の如くに悩んでから心してぴりぴりと剥がしひらく。中にはミニチュアの角張った香水瓶が収まっており、澄んだ深い紅の液体で満ちている。デパートのコスメ売り場のように洗練された、水みたいに清らかな薔薇の香り。お守り代わりに持ち歩いている。とっておきの時につける予定だ。

いただいた寿司飴は大学で泣いてしまった日に家に帰ってから食べた。子供の頃は回転寿司に行くたびに、この手の棒付き飴を親にねだっては、想像していたサカナの味と違うことに毎度がっかりした記憶がある。久しぶりに口にして、この人工的な甘み、サーモン寿司に不似合いなオレンジの香料、一口目で満足してしまうこの感じが懐かしかった。

 世界地図のプリントされた封筒には柔らかい文字で書かれたお手紙が入っていた。言葉を扱う手つきが丁寧で、眠れずに朝を迎えた日に、声に出して読みたくなるようなお手紙だった。

 こちらの春は温暖化の影響か、既に街々で桜が咲いては散りつつあります。外に出て息を吸うと、かるく湿気を含んだあたたかい空気が入ってきて、春が来たことがすぐにわかります。私もあなたが好きなアイスを食べて、きれいな色で爪を塗装して、幸せでいてくれたらいいなと思います。



冒頭に書いた通り、「お誕生日おめでとう」はシンプルで根源的な祝福の言葉だと思う。世界に生まれてきたこと自体への祝福とこれからの未来への祈り、今ここに存在していることへの肯定の祝詞だ。

その言葉を素直に受け取れることがうれしい。私が生まれたことはひとに祝われるべきことなのか?と思わずにすむのが、うれしい。

「誕生日おめでとう」をうまく受け止められなかった時期がある。そんなときによく読んだ、誕生日についての印象的な詩を思い出す。


 保育所からの幼馴染は毎年誕生日をLINEで祝ってくれていた。
 一年前の私は、幼馴染の誕生日を祝うことができなかったことをSNSに書いていた。自分なんかに祝われたところで嬉しくないだろうと。それなりに長い間連絡をとっていなかったのに、突然声をかけること、もっと言えば自分の意思で主体的に行動すること自体が忌むべきことに思われたからだ。
 幼馴染に淋しい思いをさせたかったわけではなくて、私抜きで楽しくしてくれていればいいと思っていた。私なりにそうあってくれと願っていた。
 どこか遠い場所で幸福であれと、祈りのテレパシーをピピピと送るだけでは伝わらない。「私はあなたに幸せでいてほしいと思っている」と直接口にしなければ、私たちは平行線のままだ。
 私に他人の気持ちがわからないように、黙っていては他人に私の気持ちはわからないのだから。まずは伝えることが今後の課題だ。なんにしろ、取り返しはつくと思いたい。さしあたり今できることとして、今年の幼馴染の誕生日は祝いたい。あなたが生まれてきたことを、今日を生き延びていることを祝福したいのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?