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誰も彼女を知らない

フィオナ・アップルが好きだという人は私の観測できる範囲に存在しない。
フィオナ・アップルを、私が紹介する前から知っていた人というのも、未だこの人生において一人しか出会ったことがない。
フィオナ・アップルの音楽は、本当はいろんな喫茶店で流れているのを知っている。けれど誰もその音楽をフィオナ・アップルとは認識しない。

誰も彼女を知らない。誰も彼女を知らないので、ウィキペディアに書かれている彼女の半生、人柄、そして1996年ファーストアルバム『TIDAL』がアメリカでは売れまくり「Criminal」でグラミー賞を受賞したことも、その後の音楽活動も、ウィキペディアやYouTubeまで巻き込んで繰り広げられる私の壮大な妄想なんじゃないかとまで思えてくる。
誰も彼女を知らない。

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「私は音楽。ジャンルはフィオナ・アップル」
CDショップの洋楽コーナーをうろついていた、当時12歳の私は彼女のセカンドアルバム『真実』の帯に書かれていたこのフレーズに強烈に目を惹かれた。
フィオナ・アップルという名前も可愛いが、「私は音楽」とまで言い切ってしまう人というのは一体どんな人で、どんな音楽を歌うのか、強烈に気になった。
お金がない小学生だった私は地元の寂れたTSUTAYA洋楽コーナーでフィオナ・アップルを探し歩き、当時リリースされていた『タイダル』『真実』の2枚をレンタルした。

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何故か聴き続けている、という表現がぴったりくるような気がしている。
聴いた瞬間閃光のような衝撃が走ったとか、これは私の歌だと思うほどの過剰な共感だとか、そんな体験は今に至るまで持ち合わせていない。
それでも学校から帰ってきた私はランドセルを放り投げて即CDコンポの電源を入れヘッドホンをかぶり、『真実』を聴いた。毎日、毎日、『真実』を聴いていた。
日本盤ボーナストラックとして収録されている「Across the Universe」は長らく彼女の歌だと思っていた。ビートルズの歌だと知った今も、私はビートルズ版の「Across the Universe」をきちんと聴いたことがない。


「Never Is A Promise」という曲は今このときの私を間違いなく多大な影響力で以って、構成している。私の脳細胞や聴覚の一部はこの曲仕様になっていて、私の血液は常にこの音楽を鳴らしながら体内を駆け巡っているような気がする。
「Never Is A Promise」はとてもシンプルな音楽だ。フィオナの弾き語りによるピアノとストリングス代わりのシンセサイザー1台で十分に完成される。

私は『真実』ボーナストラックの「Never Is A Promise(Live)」を、CDがすり減ってそのうちペラペラになってしまうのではないかと思うくらいに何度も、何度も、聴いた。フィオナのピアノの弾き方の癖、どこで鍵盤が強くなるのか、どこで彼女が声を張り上げるのか、今、音源がなくても私の頭には完璧に、正確に鳴る。

But as the scenery grows I see in different lights
The shade and shadows undulate in my perception
My feelings swell and stretch; I see from greater heights
I understand what I am still too proud to mention... to you

彼女はこの曲でひたすらに、他者と自分との断絶を歌う。
「私のことは私以外の誰にも永遠にわからない」ことを言葉を尽くして歌う。あなたはそう言うけれど、私が言いたいのはそういうことじゃない。私の感情は私のずっと深いところにあるから決してあなたには見えない、私の熱はあなたに見せたこともない深い場所で今も私を燃やし続ける、私の何もかもは、あなたの手には永遠に届かない。
それは自身の高潔を信じて疑わない態度なのか、歌詞が示す”you”があまりに愚かな存在だったのか、それともこの”you”はいわば「他者」の概念そのものであり自分は「他者」へ決して自分を見せられない臆病さであったり「他者」と永遠に分かり合えない疎外感だったり孤独だったりをただ嘆いているのか、それはフィオナにしかわからない。

You’ll say you understand, but you don’t understand
You’ll say you’ll never give up seeing eye to eye
But never is a promise, and you can’t afford to lie

Neverとは約束、だから嘘はいけないと彼女は歌う。けれど彼女もまたNeverを多用する。あなたには「決して」見えないでしょう、「決して」触れられないでしょう、「決して」私のことはわからないでしょう。
それもまた彼女が言う「約束」であって、それら全ては、要らないのだ。

But never is a promise, and I’ll never need a lie

フィオナはもうこの曲は歌いたくない、もう歌わないと言う。あまりにもパーソナルで、あまりにも悲しいからだそうだ。
フィオナの真意はフィオナの意思で封印される。誰も彼女に手を差し伸べることはできないし、誰の目にも彼女の感情や熱は捉えられない。
私が私の幾らかを決定づけた音楽のひとつ、one of themにして確実にonly oneでもあるこの曲はきっともう歌われない。私は過去の音源をひたすら繰り返し、再生を、更新を図るだけだ。永遠に届かないのを承知させられた上で。


誰も彼女を知らない。
低音ばかり使うピアノも、伴って響く彼女の声の低さも、「Criminal」が始まるときにはピアノの下に座り込んでいることも、「Never Is A Promise」を歌うときにはいつも泣いていることも、あのとき彼女はまだ10代で歌番組では屈託なくはしゃいでいたことも、ポール・トーマス・アンダーソンとかつて付き合っていたことも、犬が好きなことも。

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誰もフィオナ・アップルを知らない。私も未だ、フィオナ・アップルを知らない。

(『真実』リリース20周年に寄せて、2020年の新譜発売を心から願って)

読んでくださってありがとうございます。いただいたお気持ちは生きるための材料に充てて大事に使います。